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Aerial/01―05



 遊覧船の事故という突発事項で貴重な休日をつぶしたその翌々日、俺はまだ覚醒しきらない頭を引きずるようにしながら登校する羽目になってしまった。軍人は身体が資本ということで一応消灯時間などはきちんと定められているのだが寮内でそれが守られているかどうかという点については非常に怪しいと言わざるを得ず、俺の夜更かしについても誰一人として文句を言ってくるような奴は居なかった。いい加減なものである。
「あら、何だか眠たそうね」
 一時限目も終わりさて次は二時限目、こんな状態で授業に出てもまともに頭に入るわけもないしいっそさぼるか? などと思っている所に話しかけて来たのは朝倉涼子だった。珍しいことも有るものだ。朝倉涼子はこのクラスの委員長で顔も広い方だが俺と個人的に話をしたことは殆ど無い。こういうしっかり者の女子との会話量が多い男子というのは一緒にクラスを仕切るような優等生キャラかその逆に注意しないと落ちこぼれている素行の悪い奴と相場が決まっているが俺はそのどちらでも無いからな。
「寝不足でな」
 昨日何となく宇宙と無重力に関する資料を見ていたらこの体たらく。熱中し過ぎて時間が経っていることに気付かなかったのだ。
「あら、夜更かししてたのね。同室の人に文句言われなかったの?」
「俺は一人なんだよ」
 この士官学校は基本的に全寮制で二人一部屋が基本だが生徒の数が二で割れるとは限らないため時折一人になる生徒もいる。俺はたまたまそうなった。
「へえ、そうなんだ。てっきり国木田くん辺りと一緒だと思ったんだけど違ったのね」
「国木田は谷口と同室だろ。大体誰と同室になるかは基本的に学校任せだろうが」
 そう、この部屋割については完全に学校側に一任することになっているのだ。建前上は相性などを配慮して蹴っているということになっているが実際は無作為に決めているのだろう。入学時に学校側に提示している資料だけで相性判断が出来るとも思えないから。
「でもわたしは幼馴染と一緒よ」
「……何か事情でも有るのか?」
「うん、あたしじゃなくて相手の子の方だけど」
 そもそも士官学校はあまり特殊な事情が有るような人間が入学出来るようなところでは無いのだが世の中には何事も例外というものが存在する。例え基本的事項に欠落が有ったとしても迎え入れたい優秀な人材ってのはどこにでも居るものだ。そういう人間に限っては他の生徒と扱いが違うことも有れば特例が許されることもある。朝倉の幼馴染もそれに該当するってことか。今のところハルヒ以外であまり変な生徒の話題は耳に挟まないのだが。
「その子、うちのクラスじゃないもの。……と言ってもキョンくんは知っていると思うけど」
「……長門有希、か」
 俺が名前を把握してる他クラスの生徒の中でどうも特殊な事情を抱えてそうな女子というと他に思い当たらない。あいつは一体何者だ。
「それは秘密」
「お前もアーシアンなのか?」
「ううん、あたしは違うの。幼馴染って言ったけど、子供の頃に付き合いが有った後ジュニアスクールを出てから再開した仲だから。だからあたしはコロニー育ちよ」
 そのジュニアスクールを出て、という単語がかかるのは朝倉自身の方なのだろう。長門が普通に初等教育課程を終えているかどうかは疑わしい。素人では絶対に出来ないようなシステムへの侵入を果たしたような奴だ。飛び級或いは通常とは違うルートで教育を受けていたとしてもおかしくは無い。
「長門さんのこと疑っているの?」
「何をだよ」
 長門有希に対して幾つかの疑問はあるがそれは疑念とは違う。
 朝倉が秘密だと答え今のところ長門本人が話したくないと思っているのなら無理に話せとは言わないさ。無理強いして嫌われるよりは時を待つ方が賢明だ。何より長門の素性なんて俺の人生に影響を与えるほどのものでも無い。気にはなるが知らなくて困るような要素ではないし知って面倒事に巻き込まれる方が厄介だ。これ以上何も無いというのなら一昨日のことは忘れるさ。
「ふふ……、長門さんはとっても良い子よ。これだけは本当」
 朝倉はそれだけ言うと踵を返して去って行ってしまった。そもそも何のために長門のことを話したんだか。幼馴染とよく話している男子が気になったってことなんだろうか。
 ……よく分からん。
 朝倉はまともだと思っていたんだが、俺の周りはまともじゃない奴ばかりなのか?


 さて、遊覧船での事故の後何が有ったかと言えばそれから三日ほどの間は何も無かった。ハルヒは相変わらず彼方此方走り回っているようだが収穫が無いのか段々と機嫌が悪くなってきている。一体何を探しているか知らないが当たって砕けろの前に準備するなり方針を切り替えるなりした方が賢明だと思うぞ。
「方針、方針ね……」
 俺の意見なんて丸っきり聞いてなさそうな癖して妙なところだけは耳に入れている。
 方針もとい方向転換、人生には時としてそういうときも必要だ。しかしながらハルヒの場合は極端から極端に走るような奴なので逸脱したところから軌道修正したと思ったらそれが既に想像の遥か彼方、なんてことが有ったとしてもおかしくは無い。
「うん。分かったわ……。じゃ、あたしまた探してくるから!」
 かくしてハルヒは、俺や長門に詳細を告げることも無くまた教室を飛び出していった。一体何を探しに行くのか知らないが出来るだけ人様に迷惑をかけないでくれよ。ハルヒが一人で何を起こそうと俺の知ったことじゃないが下手すると俺や長門まで連帯責任を負わされる羽目になりそうだからな。
「……」
 時折戻ってくるハルヒと多少の会話を交わす俺とは違い、長門は殆どずっと沈黙を貫いている。パラパラと、本をめくる音だけが部屋の中に響く。通りがかった時に軽く覗いた感じではかなりびっしりと字が書かれているようだったがそれにしては読む速度が速い。
 それに、この音。
「なあ、それ」
「……これ?」
 長門が顔をあげた。一応呼びかければ応えてはくれる。……そこから会話が発展する確率については触れないでおこう。
「ああ、それって紙の本だよな」
 最初は気付かなかったというか気にも留めて無かったが、二人きりの上殆ど音のしない教室の中で俺はようやくその本の正体に気づいた。今時珍しい紙の本だ。プラスチックペーパー製の本とは明らかに音が違う。嘗て人類が紙及び書籍という形で記録を残していたころの名残なのか現代でもプラスチックペーパーを書籍型にまとめ上げた中に情報を転写して本として扱う人間は珍しくも無いのだが、本当に紙で出来ている本を日常的に手にしている人間というのはかなり珍しい。場所と材料にもよるが結構高価なものなんじゃないだろうか。そういう物が『在る』ことは知っていたが、書類はともかく本のレベルで紙が使われているのなんて始めて見た気がする。
「そう」
 長門は簡潔に答えると、それ以上説明する必要もないと思ったのかごくあっさりと読書へと戻ってしまった。おーい、長門さん? あなたそこから話を広げようって気は無いんですか? ほらほら、ここは紙の本の良さを語るとか、何で紙の本を持っているかとか、そういうことを語るべきところじゃないんですか。この教室はたった二人なんですよ俺は暇なんですよ。
「あなたも読む?」
 俺の無言の主張もとい視線に気づいたのか、長門がまたこちらを向いた。あなたもって、紙の本はデータを移すことが出来ないんじゃなかったっけ。と思ったら、長門はすっと音もなく壁際の本棚を指指していた。もしかして、これ全部紙の本か? 本棚の方へと歩いていくと、長門も椅子から立ち上がり本棚の方へと近づいて来た。長門が本棚から一冊の本を手に取って軽くめくった。音で分かる、これも紙の本だ。……きっと、ここに有る全てがそうなのだろう。
「え、あ……。お前が、良いって言うなら」
「わたしは構わない」
 長門はすっと音もなくその本を俺に向かって差し出して来た。
「これ」
「あ、ああ」
 長門が手渡して来たのは結構分厚い本だった。厚さ三センチくらいだろうか。紙製の本を持ったのはこれが初めてだったがその本は想像そていたよりも重かった。紙って重い物だったんだな。そもそも転写用プラスチックペーパーで出来たの本はこんなに厚くない。厚い物でも大体この半分くらいだ。
 手にした本をパラパラとめくってみる。めくった時の音もそうだがその感触もプラスチックペーパーとは少し違う。とりあえず、普通に触っている限りいきなり分解するとかいうことにはならなさそうで一安心だ。紙ってのは脆い物だって印象が有ったんだがそうでもないみたいだ。長門が椅子に戻ってしまったので俺も机の隣に置いてある椅子に座り本を読み始めた。紙の上に乗っている長文を読むというのは変な感じだが、本は本だ。
 長門に渡されたその本は古典的なSF小説――現代の宇宙工学とは違う、想像で作られた宇宙が展開していく物語だった。全く興味が無い分野とは言わないが小難しい文章と面倒な言い回しが眠気を誘う。この部屋は本を捲る以外の音がしないのでこのままだと眠ってしまいそうだ。長門が高速で本をめくる音が良い子守唄になるかも知れない。ヤバいな、さすがにここで眠るわけには――
「やっほー、新しい子をゲットしてきたわよ!」
 ……靄がかかりかけた俺の思考を引き上げたのは高らかなハルヒの声だった。声とほぼ同時に扉が開くでかい音もついて来る。そして、何故かハルヒの小脇には一人の女子生徒が抱えられていた。
「新しい、って……」
「じゃーん、癒し系キャラクター、朝比奈みくるちゃんよ!」
 ハルヒが連れて来た女子生徒の名前は朝比奈みくるさんと言うらしい。ふわふわとした栗色の髪と可愛らしい顔立ち、小柄だが出るべきところは出ている体型。少々童顔では有ったが美少女と呼んで差し支えないだろう。
「みくるちゃん、あっちがキョン、あっちが有希、一応覚えておいてね」
 俺や長門には自己紹介の時間すら与えられないのかよ。というか人をあだ名で紹介するな。
「あ、あの……、何、ですか、ここ? あたし、どうしてここに、」
「みくるちゃん、あなたは晴れてメンバーに選ばれたのよ」
「メンバー? えっと、一体何の……」
「将来あたしと一緒に銀河を手中に収めるメンバーによ!」
 えらい壮大だな。確か最初から出世を目指して云々という話だった気がするがそんなことすっかり忘れていたぞ。というか出世と銀河系征服じゃ大分意味が違わないか。
「細かいことは気にしない。みんなで一緒に同じ所を目指していけばオールオッケーよ。そんなわけだからみくるちゃん、これからよろしくね」
「え、あ……はい」
 頷く朝比奈みくるさん。断言しよう、彼女は絶対に今の状況に付いて来れていない。大方ハルヒが有無を言わさず連れて来たのだろう。まあハルヒの出世云々に関しては一年の間では有名だから――ん、いや、待てよ。
「あの、朝比奈さん、あなたもしかして上級生ですか? 俺達は全員一年何ですけど」
 こんな可愛い子が同学年に居ればクラスが違っても覚えられる。意識する必要もないな。目立つ人間ってのは自然と目に入ってくるものだ。しかし俺の記憶の中に彼女の外見データはインプットされていない。と、いうことは。
「あ、はい、二年です」
 予想通り、彼女は俺達と同学年では無かった。
 というか上級生だ、先輩だ。
 ……上級生の教室に特攻をかけ有無を言わさず拉致した挙句にちゃん付けか。失礼にもほどが有るだろう。
「良いじゃない。ちょうど良いキャラだったんだから。それにみくるちゃんはもう医療看護系に進んでいるみたいだし、癒し系キャラとしても脇を固めるにしても申し分ない人材だと思うわ」
 ハルヒが朝比奈さんの胸元についている校章を指さした。基本的に士官学校の校章というのは各学校ごとに形状だけ決まっていて色は学部やコースごとによって違うという形式をとっている。全員が同じ課程を辿る一年時は白、朝比奈さんが所属している医療看護系は緑だ。
「あのなあ……」
「あ……、あの、わたしは、かまわないです」
「えっ?」
「ほーら、本人が良いって言っているんだから良いのよ!」
 理屈としては間違ってないがそれにしたって強引過ぎやしないか。


 強引だろうが無理矢理だろうが逆らう人間が居なければそのまま事態は続行する。かくして朝比奈さんはこの謎の団体のメンバーに数えられることとなった。翌日自主的に空き教室までやって来たからな。こんにちは、と挨拶する彼女を見て多少の動揺を覚えたね。まさか本当にやって来るとは。
「……どうして今日も来たんですか?」
「え、それは……、毎日ここで集まっているからって聞いたからですけど、いけなかったですか?」
「いえ、全然っ」
 質問の意図すら通じてないとは恐れ入る。医療看護系に進んでいるということは結構頭の良い人だと思うんだがちょっとお人好し過ぎないか。一年の中じゃハルヒは相当有名人何だが学年の違うこの人にはハルヒの悪評は伝わって無いのだろうか。
「あの、今日は涼宮さんはどこに居るんですか?」
「あいつならたぶんどこかを飛び回っていますよ」
 新しいメンバー探しか、あるいは何か別の理由か。どちらにせよ俺の知るところじゃない。
「そうなんですかぁ……。じゃあ、あたしも一緒に待たせて貰いますね」
 朝比奈さんが空いている椅子に座りカバンの中に入っていた端末を起動させた。授業の課題か何かだろうか。
「あ、うん。医療看護科は課題が多いの」
「大変そうですね」
「はい。……でも、自分で選んだことですから」
 にこやかに笑う朝比奈さんは正しく白衣の天使が似合いそうな出で立ちだ。この人が実際に技術を身につければきっと鬼に金棒だろう。適材適所とはよく言ったものである。
 課題をこなす朝比奈さん、本を読む長門、長門に本を借りた物の紙の本を長門の十分の一くらいの速度で読み進める俺。三者三様、何のために集まっているのかさえ良く分からないまま放課後の時間は過ぎて行った。
 結局その日はハルヒは現れず俺の携帯端末に『先に帰っていてちょうだい』という通信を寄こしただけだった。勝手な奴である。こんなハルヒに対して長門や朝比奈さんは文句一つ言わない。朝比奈さんは気が弱いあるいはお優しいからということになるのだろうが長門に関してはよく分からないな。何かしら事情が有るみたいだが……、あれこれ考えても仕方がないか。何か有れば長門か朝倉が教えてくれるさ。
 寮へと続く身近い道程を三人で歩き女子寮に入る二人を見送ってから俺は一人男子寮へと戻った。夕食後の自由時間、寝るにはまだ早いが今日は宿題も無いしどうするかなと思っていたら呼び鈴が鳴った。誰か来たらしい、と言ってもこの部屋にやってくるのは今のところ一人しかいない。
「やあキョン、入っても良いかな」
「ああ」
 ロックを解除すると国木田が入って来た。一人部屋の俺を見かねてなのかこいつは二日に一度は俺の部屋にやってくるのだ。
「よう、キョン!」
 国木田だけかと思っていたら何故か後からもう一人現れた。谷口だ。俺と国木田のクラスメイトで有り国木田と同室の奴である。
「……お前もか」
「なんだその顔、時化たツラしやがって。せっかく俺が着てやったんだ。もっと喜べ!」
 たまに会う仲ならともかく毎日教室で顔を合わせているような奴の来訪を喜べというのも無理な話だな。国木田はここに来る前からの友人だから良いとして、谷口とはここで出会ってまだ一カ月もたってないし、何よりこいつはうるさい。
「まあまあ谷口、あんまり騒がない方が良いよ。騒いで怒られるとあとが面倒だしね」
「っち、わーったよ」
 国木田が諫め谷口が渋々ながらも声のトーンを落とした。どうやらこの二人はそこそこうまくやっているらしい。教室でも結構仲良いみたいだし、仲が良くなければわざわざ俺の部屋に二人でやってこようとはしないだろう。国木田は一見ひとあたりが良さそうだし付き合いも悪くないか気に入った人間とそうでない人間に対しては結構線を引いて振舞う方だ。良かったな谷口、国木田に気に入られたみたいで。
「しっかしお前も大変だな。涼宮なんぞに捕まっちまうなんてさ」
「涼宮を知っているのか?」
「知っているも何も子供の頃からの付き合いだよ」
 なるほど、ということはハルヒが言っていた幼馴染というのはこいつのことか。
「俺とあいつ以外に同じ学校からここに来た奴はいないからな」
 じゃあ他のやつってことは有り得ないな。接点が見つからないので気付かなかったが谷口がハルヒの幼馴染ね。ハルヒも、こんな煩い奴と一緒なのはお断りと思ったんだろうか。
 ちなみに士官学校において前の学校が自分と同じだった奴が片手以下だとか誰も居ないとかいうのは別に珍しいことでも何でも無く、寧ろそれが普通である。高等教育課程進学の時点で士官学校を選ぶ人間の少なさに各自の成績や希望によって枝分かれするという事情を加味すればそれが当然なのだ。友達と同じ学校に行きたいような奴は軍には入らないだろう。俺だってここに来る以前から面識が有る人間は国木田だけだった。
「涼宮は前からああなのか?」
「ん? まあ、大体あんな感じだな。変な奴だよ、あいつは」
 曖昧な表現では有ったが意図は通じたらしい。こいつの方がハルヒとは付き合いが長いわけだしな。その割にしたしい様子では無いが。
「腐れ縁って奴だよ」
 そういうもんか。
「そういや、なんであいつは出世したいとか言ったんだろうな」
「さあな、俺にも心当たりなんてねえよ。ま、単なる気紛れだろう。涼宮の発言と行動に深い意味何かあるかよ。あいつは成績は良いが人間的にはバカの部類だろ」
 はっきりそう言ってしまうのはどうかと思うが、まあ否定はしないでおこう。
「でもさ、はっきり出世したいって言えるなんてすごいよね。それだけ目的意識が有るってことでしょ?」
 どちらかと言えば呆れ気味の俺や谷口に対して国木田の捉え方は前向きだ。前向きなら良いというものでもないと思うが。目的意識、ねえ。一体何のためだ。
「それは知らないよ。気になるんだったら本人に聞いてみれば良いじゃない」
 ……それもそうか。


 翌日の放課後、空き教室の中で俺は思い切ってハルヒに訊ねてみた。
 お前は何でそんな出世だの銀河を手中に収めるだの言っているのか、と。
「あら、そんなの面白そうだからに決まっているじゃない」
 ……。
 ……思わず目が点になったね。
 大した理由じゃないだろうとは思っていたが、まさか『面白いから』何て理由だけでトップを目指す奴が居るとは。課題をこなすのは楽しい、楽しいからどんどん進めたくなるんだ、と言っていた幼馴染の姿を思い出す。あの時のあいつの発言は俺には理解出来ないなと思ったがハルヒの場合はそれをぶっちぎっている。
「あのねキョン。あたしは軍とか政府とかの上層部の人間って世間に対していっぱい隠し事をしていると思うのよ。探査船や研究所が何か発見してもその幾らかは政府の手によって隠されちゃうって言うじゃない。そういう隠されたものの中には面白い物がいっぱい有ると思うのよね。人間稀少な物や大事なものは隠したくなるって言うもの。だからあたし、偉くなってそういう連中がこっそり楽しんでいるものを暴いてやりたいの。政府や軍部の連中が隠しているんだもの。きっとすっごく楽しいことや美味しいものが有るに決まっているわ!」
 呆れて物も言えないね。
 俺は随分とぽかんとその場に突っ立っていたんじゃないだろうか。ハルヒが何事か妄想めいたことを語っているようだが耳に入ってこない。確かに、誰だって一度くらい自分の知らない所に面白い物や美味しい物が有ると考えたりするだろう。だがそれは大抵子供の頃の話だ。士官学校の入学資格を得られるような年齢になってもそんなことを本気で考えているとは恐れ入る。変わり者だとは思っていたがここまでだとは思わなかった。
 俺だって政府や軍部の実態を知っているわけじゃないが連中が隠しているのはきっと流出すると困る暗部に関わる情報くらいだろう。ハルヒが目指すような楽しいことを隠しているとは到底思えない。
「何よキョン、何か文句有るの?」
「……いや、無い」
 俺がハルヒに反論するのは簡単だろう。だが、反論したところで一体何になる。無邪気に子供のような夢を抱いているハルヒ。目的のための手段はともかくとしてその目的、上に行きたいという目的そのものは別におかしなものじゃない。思想に問題が有ったりする人物ならばともかくハルヒはかなりの変人では有るが悪人ではなさそうだし特殊な思想に染まっているわけでもないし成績面ではかなりの優等生だ。そんなハルヒが出世街道を目指したところで困るのはそのライバルになるであろう連中くらいでしかない。
「ふうん……。ま、とにかくそういうわけだから。そうそう、キョン、あんたこの間の小テストの成績随分と悪かったみたいね」
「げっ、お前、何で知ってるんだよっ」
「答案、後ろから丸見えだったもの。あんたねえ、あたしと一緒に上を目指すにしては志が低すぎるし成績も悪過ぎるわ。……うん、そうだわ。今日は特別にあんたの勉強を見てあげる。感謝しなさいよ!」
 ハルヒがびしっとその指先を俺につきつける。
 余計な御世話だ、と主張するわけにもいかず、それから下校時間が来るまで俺はハルヒに勉強を教わる羽目になった。


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