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ドーリィガール  第二章



 俺の経験を踏まえて言わせて貰おう。ハルヒの言う「あたしに任せなさい」が、本当の意味で任せて大丈夫だったことなど一度も無い。男子生徒行方不明も幽霊退治も結局は俺や長門、古泉が裏で何とかすることになったし、それ以外のことであっても、あいつだけでどうにかなったなんてことは殆どなく、結局誰かがハルヒの隣か後ろで奮闘する羽目になるんだ。
 もっとも今回の場合、ハルヒが何を企んで居ようと結局のところ立ち回るのは俺なわけだが……ハルヒの考えた通りに振舞って上手くいくとは到底思えないし、そもそも、ハルヒ発案のプランを俺が完璧に実行出来るとも思えん。
 どんな無理難題が降ってくることやら。

 無理が通れば通りが引っ込むとはよく言ったもので、その言葉は正しくハルヒのために有るものだと思われたが、どういうわけか今回のハルヒは無理と道理の割合を間違えることは有っても、道理の全てを踏み潰すつもりは無いようだった。
 言っていることもやっていることも意味不明。なんでそういう発想に? とは思うものの、究極の無茶ぶりをしているわけでも無いし、超常現象が発生しているわけでも無い。俺が女になってしまった時点で問題アリアリだとは思うが、それはそれとして。或いは、そこで無理を利かせた分他の部分についてはソフトにってことなんだろうか。ハルヒの無意識がそんなセーブをかけてくれるとは思えないのだが。
「じゃあ、これから対策会議を始めるわよ!」
 いきなり何を言い出すのかと思ったが、ハルヒが最初に提案したのは俺を含めた女子団員だけで集まって四人で対策を練ることだった。ハルヒ曰く「三人寄れば文殊の知恵って言うじゃない」とのことだが、それはあまりにもハルヒらしく無い台詞だったし、このメンツでは船頭多くして船山に上るという結果にしかならないんじゃないだろうか。朝比奈さんはまだしも、人間関係の改善や修復といった点で長門が役に立つところは想像出来ない。
「対策って……」
「先ずは現状整理からよ。キョンの不満点・問題点の整理からね」
 言っていることだけは至って真面目に聞こえるのが怖いところだ。しかしながら不満だの問題だの言われても、俺自身には原因さえ掴めていない。大体、俺と古泉の仲が微妙になった原因は好みの異性がどうとかいう会話からじゃ無かったか。実態はともかくハルヒの認識だとそうなっているはずだし、そのハルヒが俺を女にしてしまった時点で前提条件から崩してしまっているようなものだろう。一体ハルヒは何が原因だと思っているんだ。察知しているが原因は分かりません、と言うだけなら別に良いのだが、ハルヒの場合見当違いのことを正しいことだと決めつけてしまう可能性が有る。
 助け船を求める意味で斜めの位置に座る長門に視線を向けてみるが、長門は何の反応も示さなかった。場所を提供しただけで自分の役目は終わったと思ってるのかも知れない。そう、ここは長門の家だ。別に何か特別な物が用意されているわけじゃない。単にこの場所が集合するのに都合が良かったというだけだ。しかしながら、女子ばかりが集まって炬燵机を取り囲んでいるこの状況は何とも言い難いものが有る。そもそも、古泉がバイトや授業の都合などで部室に居ないときは別として、部室以外の場所で古泉を除いて四人で集合、ということ自体があまり無い。ハルヒを除いてってのはたまに有るが。
「不満って言うか……まあ、俺はあいつに嫌われているらしい」
 でも、別にそれが不満なわけでは無い……と言い切れるわけでもないが、不満だからどうしたいって具体像が有るわけじゃないんだ。そりゃあ、ショックでは有ったが、俺がどうにか出来るようなことじゃないんだ。仕方がないじゃないか。
「嫌われてる? 何でよ?」
「知らん。心当たりは全く無い」
「……何それ」
 何、と言われても説明のしようが無いんだが。やれやれ、ハルヒはどうも状況の改善を目指す意味で俺を女にしたようだが、これじゃ事態をややこしくしているだけだろう。
「無い物は無いんだよ、仕方が無いじゃないか」
「そう……まあいいわ。有希、何か心当たり有る?」
「……」
 長門は相変わらずの置き物状態続行中だ。話しかけられているという自覚が有るかどうかさえ怪しい。最近ではこんな風に完全に情報をシャットアウトしているように見える長門は珍しいが、会話に混ざりたくない理由でも……ああ、有るのかも知れない。古泉と微妙な空気になってしまったあの時、長門の反応もどこかおかしかった。長門にも何か思うところが有るのだろう。それが何かは分からないが。長門まで俺を嫌いということはないと思うんだが、正直、好かれているという自信は持てない。
「みくるちゃんは?」
「え、あ、あたしですか……ん、ううん……、キョンく、あ、じゃなくて、キョンちゃんがもっと女の子らしかったら良いんじゃないでしょうか?」
 ちゃん付けはどうかと思いますよ朝比奈さん。って、俺が女らしく? なんでそんな発想になるんだ?
「……どういうこと?」
「えっと、古泉くんがキョンちゃんに不満を持っているところが有るとしたら、そういうところじゃないかなって思って……キョンちゃん、あんまり女の子らしく無いから。古泉くんから見たら、そういうところが気になるんじゃないかなって……わたしは、そう思います」
 ハルヒほどではないが、朝比奈さんの発想も独自路線だなと思うのは俺だけだろうか。女の子らしく、って、古泉が俺にそんなものを求めているわけが無い。そもそも俺は元々男なんだし。
「ああ、そうねえ……そういうのは有るかも知れないわね」
 何故そう思う。女子の思考パターンはフリーダムだ、謎だ。俺の理解の外側だ。
「あたし、キョンって見た目だけだったら結構悪くないと思うのよね。それこそ、古泉くんにとっては割と好みの範疇なんじゃないかって思ったりするもの。そんな子が女の子らしさをまるっきり放棄していたら、そりゃあ嫌にもなるわよね」
 ……なんだそりゃ。
 ハルヒの考えていることが分からないと思ったのはこれが初めてじゃない、いや、常日頃からついていけないと思うことばかりなのだが、今回は輪をかけて意味不明だった。中途半端に日常的・普遍的なことが対象だから余計にそう思うのかも知れない。宝くじで一億円当たった場合にすることの想像は出来ても、友人から恋の悩み相談を受けた時のハルヒが何を言うかなんて想像もつかない。
好みの外見、とのことだが、それだってハルヒの願望とやらを反映したものだ。実際にそうなんじゃないかと思ったりもしたわけだが、それと女の子らしさに一体何の関連性が有るんだ。それに、あいつは俺が男だったことを覚えているんだぞ。
「キョン、あんたはもっと女の子らしくした方が良いと思うわ」
 らしくって、どうやってだよ。
「そうねえ、服装や髪型に気を使ったり、仕草とか振舞い方とか、喋り方……あ、これはいきなり変えると変ね」
 どれもこれも無理があると思うが、確かに最後のが一番難しい気がする。服や髪型はとりあえず準備すればどうにかなるが、喋り方ってのは意識してもなかなか変えられないものだ。しかし、こいつは本気なんだろうか。俺が女の子らしくすればどうにかなると思っているのか? いやいや、それは無いだろう。寧ろ、俺がいきなり女の子らしく振る舞ったって、気持ち悪いと思われるのが関の山だ。
「俺が急に女らしくなったりしたら、怪しまれるだけだと思うぞ」
「ゆっくり変えて行けば良いのよ。それか、女の子らしく振る舞うきっかけが有ったってことにすれば良いわね」
「きっかっけって……」
「そうねえ……恋、とか?」
 ……お前がそれを言うのか。
 大体、恋は精神病じゃ無かったのか。
「馬鹿ね、精神的な病気みたいなものだからこそ性格が変わるって理由づけにピッタリなんじゃない」
 その考え方もどうかと思うが、言いたいことは何となく分かる。確かに、恋をして人が変わった、という理屈は成り立つだろう。しかし恋か。恋、恋って……俺に、誰かに恋しているように振る舞えって言うのか? それってかなり無理が無いか。一体誰を俺の恋愛対象だってことにするんだよ。

「そんなの、あんたが古泉くんを好きだってことで良いじゃない」

 ……。
 …………は?
 ハルヒの発言を耳にして、俺はさすがに固まったね。ビデオの一時停止ボタンを押したってこんなに即座に停止したりしないんじゃないか。俺が、古泉を? ……冗談はよしてくれ。何で俺があいつに恋をしなきゃならんのだ。
「別に本気で好きになれって言っているわけじゃないわよ。そういう風に振舞ってみたら状況が改善するんじゃないかってことでしょ」
「……嫌いな相手からいきなり恋愛感情を向けられて喜ぶような奴は居ないだろ」
「あら、やってみなくちゃ分からないじゃない」
 やってみなくても分かるというか、ダメだろうと思って別の方法を考えるのが普通だと思うんだが、どうやらハルヒにその理屈は通用しないらしい。無理無茶無謀だけで押し切ろうとしないだけマシだが、遠回りしようが頭を捻ろうが結局のところは似たような結論になってしまっている。
「やる前から諦め気味なのはあんたの悪い癖よ」
 何でもかんでも挑戦すれば良いと思ってぶつかって裏技じみた方法でクリアしていくよりは、よっぽど健全だと思いたい。
「あ、あの……」
「何、みくるちゃん?」
「ええっと……その、涼宮さんの方法は、悪くな、いえ、良い考えだと思うんですけど、あんまり強引過ぎても良くないと思うんです」
「そうかしら」
「はい……こういうことって、焦っちゃいけないと思うんです。えっと、好きになったように振舞うにしても、そうなるきっかけとかが有った方が良いんじゃないでしょうか」
「きっかけ……そうねえ。何も無いと不自然よね」
 何か有ったとしても俺が古泉に恋愛感情を抱く日など来ないと思うんだが……だって俺は男なんだぜ? 恋愛経験は無いが、普通に異性愛に傾いているんじゃないか、という淡い認識は持っているんだ。今は女の姿だし、精神的な部分に何の影響も無いってわけじゃないと思うが……でも、やっぱり有り得ないだろ。
 しかしながら、ここで俺がどう思おうと、俺にハルヒを止める方法なんぞ存在するわけが無いのだ。今の俺には状況を正しく説明するということが出来ないし、誤魔化して話を切り替えるほどの器用さも無い。援軍になってくれる可能性の有った朝比奈さんさえハルヒの側だ。俺は溜め息を胸にしまいつつ斜めの位置に居る長門を見たが、長門はやっぱり無言で茶を啜っているだけだった。


「……明日の団活動のこと、ですか」
「そ、明日よ明日。と言ってもあたしも有希もみくるちゃんも用事が有って行けないから、古泉くんとキョンで行って来て」
 この前振りの時点でハルヒ仕込みだということはバレバレだと思うのだが、当のハルヒはそんなことは微塵も思っていないらしい。或いは、自分が仕組んだことだとバレても良いと思っているんだろうか。どっちにしろ性質が悪い。何でこんなに強引なのだろう。俺をチラリとみた古泉の視線の意味を読み取りたくない。というか、この状況に居合わせたくなかった。ハルヒに手を引かれたから九組まで着いて来たが、俺が来る必要が有ったんだろうか。
「ええ、団長のご命令とあれば」
 古泉にとっては不本意な状況なんだろう。しかし、どんなに不本意だろうと無茶だろうと、こいつがハルヒの命令を拒否するわけが無いのだ。あまりにも無茶な場合は別だが、どうやら今回はそこまでの事態だとは判断されなかったようだ。休日に嫌いな相手と二人きりで過ごすというのも楽なことじゃないと思うが、ジャングルに行って未知の生物を発見して来いと言われるよりは断然マシだろう。俺が逆の立場だったとしても間違いなく前者を取る。
「じゃあ、二人でここに行って来てちょうだい!」
 ハルヒが古泉に手渡したのは、ここから所要時間一時間以内で行ける真新しいショッピングモールのパンフレットだった。あちこちに赤い丸が印してある。
「この赤いところがチェックポイントよ。土曜日に行って、日曜に二人でレポートを作るところまでが団活動だからね。絶対サボっちゃダメよ!」
「了解しました」
 にこにこ笑顔のその内心で顔が引きつっているように見えるのは俺の気のせいだろうか。というか寧ろ俺の顔が引きつりそうだ。何でこんな事態になっているんだろう。休日に古泉と二人きり、どう考えてもデートコースとしか思えない場所へ――これが一週間以上前のことなら、同じような状況になったとしても俺は別に慌てることもここまで落胆することも無かったさ。何で休日にわざわざ男同士で、と思ったかもしれないが、別に古泉と行動すること自体が嫌なわけじゃないし、ハルヒの居ないところで他の誰かとのんびり過ごすだけならそれも悪くない。けれど今は、大分状況が違ってしまった。古泉は俺が嫌いで、俺はそんな古泉相手にどんな態度をとれば良いか分からなくて、状況を察したハルヒがその他の理由もあって俺を女にしてしまい……正直、この状態で丸二日間日中殆ど古泉と一緒というのは無理が有る。
 土曜日はハルヒ達の尾行つきだし、レポートはどう考えても丸一取り組まないと作れないほどの量を求められている。二人で共同作業をすれば関係の改善にも効果が有るだろうというのはハルヒと朝比奈さんの主張だが、俺は素直に頷けなかった。結局はハルヒの強引さに流されることになってしまったわけだが。


 明けて土曜日、俺は古泉と共にそのショッピングモールへ向かうことになった。
 特にこれといった準備はしていない。家に有った普段着で有る長袖のシャツにパーカー、下はジーンズ。当然男の時に持っていた物とはサイズが違い、パーカーの形も多少違ったが、それでも元の服のお揃いレベルだ。他の私服もざっと眺めてみたが、その殆どがサイズと共に多少形が変わっている程度だった。性格面については手つかずということを考えれば、服の方に大した変化が無かったとしても別に不思議なことじゃない。それに、逆はともかく、男物の服の大半はサイズと合わせ方さえ変えてしまえば女が着てもおかしくないようなものばかりだ。
「おはようございます」
 待ち合わせの駅で待っていた古泉は、これはもう完璧と言っても良いくらいの『これからデートに行きます』という格好だった。カジュアルなことは確かだし、決して気合が入りすぎているというわけでも無いが、ごく自然と女子の目を引くような、隣に居て欲しいと思えるような、そんな格好だったのだ。男の服装なんぞどうでも良い、と思える時なら別にそれでも良いんだが、現在俺は女で、女で居ながら女らしさと無縁の格好という……不釣り合いすぎだろ、これ。
「……おはよ」
「何だか元気が有りませんね」
「別に、何時もこんなもんだろ」
 爽やか笑顔が眩しいくらいだが、悪いが俺はその眩しさを照り返して咲くような日向の花とは違うんでね。
「では、行きましょうか」
 俺の、いや、俺達にこの行動を命じたハルヒの思惑を知ってか知らずか、古泉はごく自然に歩き始めた。余りにも自然すぎて厭味を感じる隙間さえ無い。
 そんな古泉と共に目的地まで向かい、ハルヒに命じられた場所を巡ること約一時間。後ろからハルヒ達の気配を感じることは無かったが、きっと三人セットで着いてきているのだろう。向こうには長門が居るんだ。気配を消すくらい朝飯前だと思った方が良い。
「……ん」
 そろそろ足が疲れたなというあたりで、俺はふと足を止めた。何てことはない、洋服屋に置かれた鏡の中に映った自分の姿が目に入ったのだ。顔はまあそこそこ、髪型も似合っていると思う。しかし、なんだこの、贔屓目に見ても可愛いとは言い難い格好は。朝出てくる時は全く気にならなかったというか、気にかけるようなことだとも思わなかったが、改めて見てみるとアンバランスというか、勿体無いというか。俺自身の服の趣味はともかくとして、今の俺は男の時と同じ恰好が似合うような顔立ちじゃないのだ。
「どうしたんですか? 何か気になる物でも有りましたか?」
 背後にいた古泉がすっと俺の横に立つ。
「べ、別に……」
「ああ……ここで服でもお選びになりますか?」
 動くか近くで休むかという選択肢が提示されるかと思っていたのに、続いて出てきた台詞は、俺の予想を大幅に裏切っていた。今、何て言った。
「……は?」
「おや、嫌なんですか? ああ、持ち合わせが無いということでしたら僕がお支払いいたしますよ」
「貸しは要らん」
「違いますよ。買って差し上げると言っているんです。それを理由にあなたに代価を要求する気は有りません。それとも、僕からの贈り物では不満ですか?」
 ……こいつ、何考えているんだ?
 ついこの間俺のことを嫌いだと言ったじゃないか。俺のことなんて、大嫌いだって。そりゃあ、この顔のことは嫌いじゃないのかも知れない。俺が自分好みの姿をしている方が良いと思ったのかも知れない。いや、でも、そんな……。
「嫌だと言うのでしたら別に無理強いはいたしませんが、もう少し可愛らしい格好をした方が良いと思いますよ。……今のままじゃもったいないですからね」
 古泉の手が伸びてきて、俺の長い髪に触れた。背を覆う髪は、邪魔だからという理由で今日もポニーテールだ。最初はハルヒにやってもらったしその次の日は母親にやってもらったが、今は自分で括っている。髪を結ぶ時のコツくらいは覚えた。もしかしたら、古泉はこの髪型が不満なのかも知れない。曲がりなりにもデート、では無いが、二人きりなんだ。関係の改善を目指す以上、好みの髪型をしてきた方が良かったのかも知れない。……そんな当然のはずのことを忘れていた自分が恥ずかしい。ダメだな、俺。いっそ、ダメだと思うそのついでに、思いついたことを言ってしまうべきだろうか。ここで自分の思った通りにするのが正しいことだとは限らないが、どうせ、どっちに転ぶかなんて分からないんだ。
「分かった……でも、俺は服のことなんて全然分からないから、お前が選んでくれ」
 迷いも躊躇いも残っていたが、ここで機会を逃してしまったら、今後古泉が同じことを言ってくれる保証など無いのだ。チャンスかピンチか分からないが、服を選んでもらうだけなんだ、おかしなことにはならないだろう。古泉のセンスや服の好みというものにも多少興味が有るし。
「……了解しました」
 古泉は一度軽く瞬きをしたが、頬を軽く緩ませると、そのまま俺の手を取った。まるでどこかの騎士みたいだ。こんなに優しく扱われたことなんて今まで一度も無かった。何で、今更……大嫌いだというその台詞が、脳裏に浮かび上がる。古泉は男の俺は嫌いで、きっと今の俺のことも嫌いなんだ。だからこんな風に、俺を惑わせるようなことをしているんだ。古泉は優しいのに、俺はその優しさを全然信じられなかった。透けて見える冷たい微笑に目を合わせるのが辛かったが、俺はどうにか微笑みに近い表情を形作っていた。綺麗な服を着ることになるんだ。泣きそうな顔をしていたら勿体無い。顔だって悪くは無いんだから。
 洋服屋の試着室の中で、俺は古泉が選んだ服を何度も何度も着る羽目になった。こいつ、俺を玩具にしたかったのか? まあ、変な物を着せられているわけじゃないけどさ。気分は余りよろしく無いが、ハルヒにコスプレ衣装を押し付けられるよりはマシだろう。そう思わないとやってられない。
「これが良さそうですね。着心地はどうですか?」
「悪くない……多分、サイズも合っていると思う」
 散々迷った挙句、最終的に行きついたのはピンクの半袖ニットカーディガンのアンサンブルに、タックの入ったシフォン素材の白いスカートという組み合わせだった。ピンクが落ち着いた色合いなせいか、可愛いけれども可愛過ぎないって印象だ。正直女子の私服姿に対して真面目な分析をしたわけでも無いし明確な好みが有るわけでもないが、似合っている方じゃないかとは思う。少なくとも男と同じような格好よりは数段マシだろう。
 試着室の床の上に立っても少し見上げる位置に居る古泉は、俺に服を着せている間中なんだか難しい顔をしていたが、今は笑顔だ。
「良く似合っていますよ」
 ありがとう、と言えたら良かったんだろうが、この台詞に対してそれを言うのは無理だ。
「……そっか」
 軽く頷くと、古泉は店員に事情を話し俺がそのままこの服を着て歩けるようにしてくれた。店員さんにタグを切ってもらって、新しい服で外に出る。何だか地に足がつかないような感じがして落ち着かないんだが、時期に慣れるだろう。
「では、行きましょうか」
「あ、ああ……買ってくれてありがとう」
 似合っているという言葉には言えなくても、買ってくれたことに対してなら礼を言える。俺の小さな意地をどう受け止めたのか、古泉はただ悠然と微笑みを浮かべて、
「どういたしまして」
 と言っただけだった。


 結局その日はそれ以上何事もなく過ぎていった。殆どウインドウショッピングみたいなものだったんだ、ハプニング続出なんてことになる方がおかしいよな。ハルヒが妙なことを望んでなくて良かった。
「ちょっとちょっと、何だか急展開じゃない」
 しかしながら、本日は古泉と別れてはい終わり、というわけにはいかなかった。古泉の姿が消えたその数十秒後、ハルヒ達が出て来たのだ。一体どこに隠れていたんだか。
「急展開って……」
「服を買ってもらうなんて、段階すっ飛ばし過ぎも良いところよ。ま、その方が話が早くて良いと思うけど」
 一体何を勘違いしているんだ。そりゃあ世間一般的に見れば服を買い与えるってのは好意や下心が有ってこそってことになるんだろうが、古泉にそんな意図が有るとは思えない。あいつは単に面白がっていたんだろう。そうじゃなきゃ、自分の隣に居る女が女らしい格好をしていないのが嫌だったってところか。
「あいつが俺を嫌いなことに変わりは無いと思うぞ」
「あら、そんなこと無いと思うわよ? 嫌いって言うか、何か不満が有るのかも知れないけど、少なくとも嫌いな子に服を買ってあげたりはしないでしょ」
 ハルヒの発言にしては筋が通っているように思えるが、相手が相手なのでそれが正しいとは到底思えない。いっそこれだって嫌がらせの一種じゃないかとさえ思う。俺の考え過ぎかも知れないが、到底好かれているようには思えないのだ。「大嫌い」という一言の余韻は、今も頭にこびり付いている。
「あんたねえ、ちょっとは前向きになった方が良いわよ。古泉くんだって、辛気臭いのが隣に居たら嫌に決まっているじゃない」
「それは……」
「もっと元気出して、胸張って向かい合いなさい! あんたは充分可愛いんだから!!」
 応援してくれるのは良いが、あんまり手荒に扱わないでくれ。バシッと背中を叩かれて、俺は本気で咳きこむ羽目になった。ハルヒは元々バカ力だし、それに加えて俺の方の体格が脆くなっているので、以前よりも身体に響く。
「可愛いって……」
「ほらほら、ちゃんと笑いなさい。可愛い顔が台無しよ」
 お前には言われたくない、という台詞をぐっと飲み込んで笑顔を浮かべる努力をしてみたが、果たして俺はちゃんと笑えたんだろうか。


 その翌日、俺は今日も古泉と――会う前に、長門の家に行くことになった。正確にはハルヒに「来なさい」と言われたからなんだが。何でも、普段着のままじゃダサ過ぎるから、別の服を用意してあげるわ、とのことだった。昨日の出来事を見たたからかもしれないが、いきなり気合い入れ過ぎたらその方が驚かれないか。
「別に良いじゃない。買ったまま忘れてた服だってことにしておけばいいのよ。らしく無いって思うんだったら、誰かと一緒に出かけた時に付き合いで買うことになったってことにすれば良いわ」
 そういうものなんだろうか。女子が群れをなすというか、みんなと一緒に行動したがる女子が多いといのは知っているつもりだが、それが理由で服まで買ったりするのか? 女の服って結構高いのに。ていうか俺は元々男なので、男の時の俺が女物の服を買っているはずなどなく、当然その言いわけは通じないのだが……仕方ない、何だかよく分からないが有ったということにしておこう。
「ねえねえハルにゃん、こっちはどうかな」
 本日俺に着せるための服を持ち寄ったお方、鶴屋さんがまた新しい服を手にステップを刻んでいる。この人が呼ばれることになったのは、サイズ的なことも有るが、この人なら古泉に見られていない私服をたくさん持っていそうだから、という理由が有るからだ。何時も一緒に居ることが多いSOS団の女子連中の私服のほとんどは古泉の目に止まっているわけだから、正しい選択だと言える。言えるのだが……だからって、無関係な人をこれ以上巻き込むのは推奨したくないのだが。今回の件に関して、鶴屋さんは完全な部外者だ。
「あ、これも良いわね。じゃあキョン、今度はこれを着なさい!」
「……分かったよ」
 何だか行く前に体力を削られまくっている気がしてならないんだが。昨日の古泉も俺のことを着せ替え人形にしていたわけだが、女子連中はそれ以上だった。服の数はともかく、細かいチェックが多いのだ。服に対してもそうだし、俺自身に対しても、もっと可愛く着こなせだのスカートの位置の見極めが甘いだのという発言を繰り返している。正直俺にはその些細な違いとやらがさっぱり分からないのだが、長門以外の女性陣にとってはそうでは無いらしい。
 そもそも、本来男であるはずの俺が、彼女等に下着姿を晒して――なんてことを考えたのが既に遥か彼方の出来事となりかけるくらいの時間は過ぎている。そろそろ疲れた。
「キョンく……キョンさん、もっとスカートの位置は下の方が良いですよ」
 いつの間にかちゃんづけからさんづけに変わった朝比奈さんは、誰よりも真剣な目をしていた。自分と無関係なことで真面目になって疲れないんだろうか。
「こう、ですか?」
 ウエスト部分がゴムになっているスカートを軽く下に下ろしてみた。なるほど、鏡を見ると確かにこっちの方が可愛い気がする。スカートってのは短い方が男の目を引き付けるかと思ったんだが、必ずしもそうじゃないんだな。
「うん、そのくらいが良いです」
 朝比奈さんがポンポンと俺の肩を叩き、ついでの俺が着ている服の端々をチェックしていく。目がマジ過ぎて、女子に触られるのはどうの、などと思うような隙間さえ無い。これはあれだな、スーツ売り場で年配のベテラン女性店員に採寸を任せている成年男子のような気分と言った方が良いかもしれない。
「……なあ、お前はどう思うんだ?」
 朝比奈さんや鶴屋さんがどう言おうと、最終結論を下すのはハルヒだ。何で俺が促しているんだよという気もしたが、それは仕方が無い。
「そうね……完璧ってわけじゃないけど、これで良しってことにするわ。服の種類にも限りが有るし、仕方ないわね」
 良かった。やっと結論が出た。
 そんなわけで、俺は白のニットにベロアのスカートという格好で送り出されたのだった。
 戦いに赴くにしては非常に頼りない姿だが、この際仕方有るまい。
 
 

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