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ドーリィガール 第四章
「あんた、古泉くんが居ないところでは髪は結んでおけば。ていうかさすがに体育の時は邪魔でしょ」
ハルヒが俺の髪に手を伸ばしたのは、それから数日後、体育の授業の前の着替えの時のことだった。最初は女子の居る前での着替えに緊張してもいたが、さすがにもう慣れてしまったというか、折り合いをつけられるようにはなった。下着なんて水着と一緒、水着と一緒……そう念じ続けていたからだろうか。実際、下着なんて形状・面積的には水着と大差ないよな。それなのになんで水着より下着の方が興奮するのだろう。男の性的欲求は視覚的というが、この微妙な差異は一体どこから来るのか……一応俺も元男なんだが、どうも最近自分が男だった頃の感覚を見失いつつある。特に覚えておこうと思って無いからだろうな。
「あ……」
「ほら、じっとしてなさい」
ハルヒは基本的にガサツな方だが、こういうときは結構手際が良い。俺が自分でやるよりも丁寧で早い。というわけで、再びポニーテール少女の出来上がりだ。うん、確かに体育の時はこの方が良いかも知れない。ポニーをやめて数日間というもの、体育の時は髪が邪魔で仕方が無かったわけだが、結ぶことなんてすっかり忘れてしまっていた。
古泉は、下ろしている方が良いって言ったし……そこに拘っているつもりは無いんだが、やっぱり、そっちの方が良い、と言ってくれる方に合わせたいじゃないか。まがりなりにも、お前好みの女になってやる、などと宣言してしまったりもしたわけだからな。とはいえ、具体的な手段が思いついているわけじゃない。お前好みのって、一体どんなだよ。顔はまあ良い。もうちょっと努力した方が良いのかも知れないが、少なくともこの顔立ちが好みの範疇に入っているってことは分かっている。だが、それ以外の部分はどうだ。顔以外の、性格とか仕草とか趣味とか……さっぱり分からんと言い切るほどじゃないが、はっきりしないところが多いのは確かだな。かと言って、当人に直接聞くというのも無しだよなあ。それはさすがに間抜けすぎるというか、そんなことをしたら敗北を宣言したようなものだろう。こういうのは自分で察して動いてこそ意味が有るんだ。
「あ、古泉くん」
「えっ」
体育を終え校庭から戻る途中、傍らに立つハルヒが言った一言を耳にして、俺はその視線の先を追った。あ、古泉だ……クラスの連中と一緒だから、移動教室の途中なんだろう。俺達の様子に気づいたらしい古泉は、俺とハルヒの方に笑顔を向けてきた。ほんの数秒のことだったが、その笑顔の輝きと言ったら。いや、別に普通に笑っているだけなんだぜ? でも、予想外の場所で見たその顔は、普段とは違った印象をもたらしたのだ。なんだろう、普段より自然に見えたからか? 俺の気のせいかもしれないけど。
「あんた、何固まってんのよ」
「べ、別に固まって何かいないだろ」
「……自覚無しって、あんた相当重症ね」
何がどう重症なんだよ。俺は病気になった覚えは無いぞ。
「ま、良いけどね……さ、早く戻りましょ。さっさと着替えないと間に合わないわよ」
「ああ」
何が何だかさっぱりだが、俺はそのままハルヒに引きずられるようにして教室に戻った。
様子がおかしい、と思ったのはその日の放課後のことだった。
何時ものように部室に向かい、何時ものように古泉とボードゲームをしていた時のことだった。そう、週明けからこの習慣が復活していたのだ。女になっても俺のゲームの腕前そのものに変化は無かったし、古泉はやっぱり弱かった。
「……古泉?」
ボードゲームの途中で俺が駒を置いたというのに、何の反応も無かったのだ。別に嫌がらせをしているわけでは無さそうだが、理由が気になる。
「ああ、すみません」
慌てて古泉が駒を取る。いや、取ろうとしたんだろう。焦っていたからだろうか、小さな駒が箱の外にパラパラッと転がっていった。珍しいことも有るものだ。
「どうした、寝不足か?」
「……ええ、少しだけ」
答えるまでに一瞬の間が有ったのは、駒を片づけていたからじゃなく、正直に答えるかどうか迷ったからだろう。
「閉鎖空間か?」
「いえ、そういうわけでは有りませんよ」
「……」
「機関絡みでは有りますが」
無言でじぃっと見つめていると、古泉は苦笑気味に答えた。まあ、そうだろうな。それ以外の理由で古泉が寝不足になる理由があまり思いつかない。何時閉鎖空間の発生で呼び出されるか分からない立場なんだ。不用意に自分から睡眠時間を削るようなことはしないと思う。
ところでこのような会話をしている時点でお分かり頂けると思うが、今この場にハルヒは居ない。ホームルーム終了直後にクラスの女子に話しかけられてどこかへ行ってしまったからだ。俺は先に行くように言われてここに来たんだが、それからもう三十分以上経っている。一体何の用事だろう。
「ハルヒの機嫌が良いのに?」
現在進行形で悪化している可能性は無きにしも非ずだが、それが古泉の寝不足に関係している、なんてことは有り得ない。ハルヒは無茶なことを現実にする能力を持っているが、自分の不満で過去を変えることは有っても、不満そのものを過去に転嫁するような能力は無い。……と、思う。
「涼宮さんの精神状態以外にも色々有るんですよ。特に今は非常事態のようなものですからね」
「え?」
「あなたのことですよ」
「あ……ああ、そうだったな」
危うくスルーしてしまうところだったが、そういやそうか。非常事態、という言い方もどうかと思うが、確かに今の俺は普通の状態じゃない。何せ元々男だったはずなのにハルヒのせいで女の身体になっている。ん、でも、皆それが当たり前って状態になっているんじゃ無かったのか?
「何事にも例外は存在するんです」
そういうものなんだろうか。……そうだな、機関にどんな能力者や協力者がいるか知らないが、別に連中が異常事態とやらを察知していたところで不思議は無い。古泉の裏に居る連中は長門やその親玉ほど万能でも超人的でも無さそうだが、俺の常識の通じない連中で有ることだけは確かだ。人間臭い分分かりやすいところも有るだろうし、だからこそ見え難い部分も有る。連中にとって俺は重要人物ってことになっているらしいが、女になった俺を……俺は、どう思われているんだろうか。機関の思惑に従う義理が有るわけじゃないが(そもそも従うとか以前に、俺自身にはどうにも出来ないことなんだが)その辺はちょっと気になる。
「なあ……」
「現時点で機関の総意というものは存在しませんよ。事情を知っている同士で好き勝手なことを言っているだけです。……そもそも、機関が結論を出せるようなことでは有りませんしね」
それもそうか。どうも古泉は、その勝手な言動に振り回される立場ってことになるらしいな。機関の構成員の中じゃ俺やハルヒに一番近い位置に居るんだろうし、それも仕方ないか。
「どうしましたか?」
「ん……何でも無い」
気がかりでは有ったが、これは俺が謝ったり労ったりするような場面じゃないだろう。俺自身にも責任の一端は有るのかも知れないが、悪いというか、原因の殆どはハルヒに有るんだし。それに、俺が謝っても古泉が気分を悪くするだけって可能性もある。
「遅くなってごっめーん」
会話が途切れた瞬間を狙ったかのようにハルヒがやって来たため、ハルヒに聞かせるわけにもいかない俺と古泉の会話はそこで終了となった。その後ハルヒがちょっとした提案をして、俺達全員が振り回されて――なんてのは、今更語る間でも無いことだろう。
その日の帰り道、俺はどういうわけかハルヒにとっつかまっていた。何でもコスプレ要員がどうとか、あんたも着なさいだとか。おいおい、いい加減にしてくれよ。そういうのは綺麗な女の子がやるから意味が有るのだ。今は俺も女子の端くれに間違いないわけだが、幾らそこそこ可愛い容姿をしているとはいえ、ハルヒや朝比奈さんとはレベルが違いすぎる。
「あんたねえ、ちょっとは自分の顔に自信を持ちなさいよ。そりゃあみくるちゃんには負けるけど、あんたは充分可愛いのよ」
一々力説せんでいい。そもそもこの顔はハルヒ仕込みなんだ。それを当人に評価されるってのもなあ。
「……別に衆目にさらせって言うわけじゃないわ。部室でちょっと可愛い格好してみるとかよ。あんた、そういうのに興味無いわけ?」
俺は出来るなら見る側が良い。俺自身の性別はともかくとして、朝比奈さんがSOS団一の萌えキャラであることは揺ぎ無い事実だぜ。
「もう……キョン、あんた、ちゃんと自分の立ち位置を確保しなきゃだめよ」
ハルヒはそう言い捨てると、ぷいっと横を向いてしまった。立ち位置? 一体何の話だろう。俺はSOS団の平団員兼雑用係で、萌え担当では無い。何で今更? 俺が女になったからか? 別に、俺が女になったところで俺に新しい属性がくっついてきたわけでは無いだろう。性差を基準にしたと思われる幾つかの違いは有ったが、それは俺の周囲の状況を一変させるほどの物じゃ無かった。第一、俺自身はともかくとして、ハルヒにとってはこれが当たり前のはずなんだ。俺が女になった日からそれなりの時間が経過しているが、今に今までハルヒは一度たりともこんなことを言わなかった。
「なあ、ハルヒ……」
「……あんた、ちゃんと努力してる?」
「ど、努力って……何のことだよ」
「馬鹿ね、古泉くんとのことに決まってるじゃない。現状維持で良い、なんて風に思っているんじゃないでしょうね?」
ハルヒがきゅっとそのアーモンド形の目の眦を吊り上げている。何だよ。どうしていきなりそんなことを聞いて来るんだよ。そりゃあ俺だって、何かしらの進展があれば良いなと思っているさ。でも、これって方法が思いつかないんだから仕方ないじゃないか。こういうのって、何でも試してみれば良いってものじゃないだろう。先ずは方法を見極めないと。
「あたしね、悠長なのって大嫌いなの」
だから睨むなって。
「……臆病になって立ち止まってたら、全部逃しちゃうわよ」
唐突と言うか、イマイチその発言に至るまでの経緯がつかめないが、ハルヒの表情は真剣そのものだ。言いたいことが全く分からないってわけじゃないけどさ。
その日以降、ハルヒとその周囲に少し変化が有った。
SOS団の方じゃない。クラスでのことだ。元々ハルヒはクラスの中でも結構浮いていたんだが、それが顕著になったというか、浮きまくっていた初期の頃に戻ったというか……。さて、何でだろうね。ハルヒの機嫌が悪い時に誰も寄せ付けない雰囲気になってしまうということは最近でもちょくちょく有るのだが、どうもそういうわけでもなさそうだ。ハルヒ自身の変化というより、女子達が自主的にハルヒを避けているような感じなのだ。
ハルヒが誰と仲が好かろうと悪かろうと大した問題では無い、と思うのだが、気がかりと言えば気がかりだ。ハルヒがただの迷惑なだけの女子高校生その一なら良いのだが、こいつには世界を改変する力なんてものが備わっている。それを知っている以上、大事になる前になんとかしなければって考えるのは別におかしなことじゃないだろう。とはいえ女子同士のこと、俺が積極的に口出し出来るようなことじゃない。一応今は俺も女子の立場なんだが、別に女子連中と俺の仲が縮まるように世界が作り変わったわけでも無いからなあ。俺は相変わらず男子とつるんでいる時間の方が長い。女子の立場で考えれば特異な方なんだろうが、クラスを見渡せば一人か二人はこういうタイプが居るもんだ。変わり者の範疇に引っ掛かっていることは確かだろうが、少なくともハルヒほどの希少性は無いね。
「……は、涼宮が?」
女子のこととはいえクラス内のこと、もしやと思って昼休み中に切り出してみたが、谷口の反応はあまり芳しく無いものだった。
「ああ、涼宮のことだ」
「別に何時ものことだろ。あいつがクラスの中で浮いているのなんて今に始まったことじゃねえし」
「それはそうなんだが……」
男子とはいえ、このクラスの中ではハルヒと接触がある方の谷口がこの反応だ。
「お前が気にし過ぎなんじゃないか。……お前、涼宮と何か有ったのか?」
「……別に」
何、と言えるほどの物は無いさ。ハルヒが妙なことを言い出してから数日経っているが、未だそれは実行に移されてはいないし、実行される気配もない。気配が無いイコール消滅したと思ったらいきなり思い出して即行動、なんてパターンは今まで数知れなかったわけだが、それはそれだ。
「ふうん……」
なんだよ、その、何か言いたそうな顔は。
「いや、別に」
別にって、何か、らしくないと思うのは俺だけだろうか。はっきり言って欲しいところだが、俺もさっき同じ台詞を口にしたばかりなので少々問い詰め辛い。
「ま、あんまり気にしなくても良いんじゃないの」
国木田よ、お前は気楽でいいな。
「だって今のところ何か起きたわけじゃないんでしょ? いくら涼宮さんのことでも、本当に大変なことになったらキョンのところにも何か情報がいくんじゃないかな。キョンじゃなくて僕か谷口の耳にってことになるかも知れないけど、結局は同じことだし」
「そうだなあ……」
気楽過ぎる気はしたが、国木田の言い分にも一理ある。確かに、俺が心配し過ぎて何でも無いことが目についているだけって可能性も有るんだ。本当に何か有ったら放っておくわけにもいかないと思うんだが、もうちょっと動きが有るまで放置したところで、致命的な事態にはならないだろう。ハルヒの傍に居ると何が致命的で何がそうじゃないのか分からなくなりそうだが、あいつが俺の知らない理由で俺に気づかれずに世界を滅ぼす、なんてことはさすがに有り得ないさ。
――そんな風に呑気に構えていたのがいけなかったんだろうか。
その日の放課後、俺は他クラスの女子達に呼ばれて校舎裏に来ていた。どこ、とは言われてなかったが着いて来たらここだったのだ。何でこんなところに? こいつら、俺に何の用だ? 他クラスの連中だが学年は同じなので、名前は知らないが顔に何となく見覚えはある。一年以上同じ学校に通っていれば大体同学年の奴の顔くらい覚えるようになるもんだ。古泉と同じクラスだったっけ? ってのが二、三人混じってるな。
「何の用だ」
連中が自分達から喋ろうとしなかったので、俺の方から聞いてやった。ていうか呼び出したんならせめて自分から用を言え。それが礼儀って物だろう。
「あんた、古泉くんに手を出したんでしょ」
「……は?」
あんまりにもあんまりな発言を耳にして、俺は思わず自分の鼓膜を疑ったね。手を出したって、そりゃ一体何の話だ。俺が? 古泉に? ……なんでそうなるんだよ。
「とぼけるつもり? こっちはちゃんと分かっているんだからね」
いやいや、とぼけるも何も、そんな事実はどこにも無い。別に俺は古泉に何かした覚えもされた覚えも無い。団員同士仲良く、というと少々語弊があるが、せいぜいちょっと仲の良い同じ部活の部員同士とかクラスメイト同士みたいなもんだぞ。特別なことなんて何も無いんだ。
「あんた、この間古泉くんの家に行ったらしいじゃない」
「……ハルヒがそうしろって言ったんだよ」
正確にはちょっと違うが、大体間違って無いと思う。ハルヒの命令や仕込みが無けりゃ、古泉だって俺を家に呼ぼうとはしなかったさ。
「やっぱり涼宮ハルヒなのね」
何がどうやっぱりなんだ!
「……どういう意味だよ」
「あんた、もしかして何も分かって無いの?」
俺が当惑した様子なのに気づいたんだろうか。俺を壁際に追い詰めていた内の一人、どうやらリーダー格らしい女子生徒が俺に向かって問いかけてきた。その同情するような目つきが気に入らない。気に入らないが、ここで突き放しても余計話がややこしくなる。
「ああ、さっぱり分からないね。お前ら俺に何を言いたいんだよ」
全くもって人に物を訊ねるような言い方にならなかったが、これでも俺は苛立ちを抑えている方だと思う。
「……」
リーダー格らしい女子生徒が怪訝そうな顔を俺に向ける。後の方から、嘘、とか、言ってやった方が良いんじゃないの、言わなくていいでしょ、なんでこんな奴が、とか、まあ色々な台詞が聞こえるわけで、その一つ一つはあまり気分の良く無いものだったわけだが、気分以前に俺にはその意味さえ掴めなかった。こいつらが俺のことを呼んだ理由は分かった。分かりたく無いが分かったってことにしておく。でも、ハルヒがって、どういうことだ。ハルヒが何かしたってことか? いや、まさか、そんなわけないだろう。
「なあ、帰っても良いか」
こんなところに長居をしても仕方が無い。これ以上話す必要が無いっていうなら俺は帰らせてもらおう。
「待ちなさいよっ」
「うわっ」
ってー、いきなり腕を引っ張るな。ハルヒほどじゃないが、女子にしては腕力がある。ああ、これは俺の体格の方が小ぶりになっているせいか。女子の身体って脆いからなあ。俺の腕を掴んでいるのも女子だけどさ。
「離せってば……」
「あんた、このまま帰れると思ってんの!」
思ってますが何か、と言い返したかったが、そんな台詞が言える雰囲気じゃなさそうだ。なんだこの、剣呑な空気は。ていうかこいつ等何考えているんだ。一人を複数で取り囲んで……と、そこまで考えて気づいた。あれ、これってもしかして結構ピンチだったりするのか? 男の時の感覚のままふらふらとついて来てしまったが、今の俺は女子だ。男だったとしても対抗出来るかどうか怪しい人数では有るが、何で俺はそんな大勢の女子相手にのこのこ着いてきてしまったんだろう。今ここにタイムマシンがあるのなら、十数分前の自分を止めてやりたい。
「は、離せよっ。痛いってば」
「離さないわよっ」
ぐっと腕を掴みあげられた。ちょ、洒落になってないだろ! 痛い、痛いってば。ああもう、なんでこんな状態になっているかな。男の身体だったら、少なくとも普通の女子に腕を掴まれて動きを封じられるなんてことは無かっただろうに。逃げたい、逃げなきゃ。こんな奴等につかまった俺が間抜けなのは確かだが、とにかく逃げないと。迷っているような奴もいるが、俺を捕まえている奴の目はマジだ。何がどうマジかなんて考えたくもないが、このまま捕まっているのは相当ヤバい。洒落にならん。
くそ、なんで振り払えないんだよ。ああ、もうっ、
「大勢で一人を取り囲むとは感心しませんね」
ふっと、不穏な空気を一蹴するような声が響いた。
それが誰の物かなんて語る必要もないだろう。俺はこの学校の生徒の中でこんなにヒーローっぽく登場する奴を……複数の心当たりが有るには有るが、敬語でって条件がつくと一人に絞られる。
「あっ」
「古泉っ」
腕が緩んだ隙にさっと抜け出し、俺は古泉の方へ駆けていった。良かった、古泉が助けに来てくれた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……俺は大丈夫だ」
ちょっと怖い思いはしたが、腕が痛くなった以上の被害は無い。古泉は一言良かった、と呟くと、俺を取り囲んでいた女子達の方に向き直った。目、笑って無いぞ。
「あ、あの……」
「この期に及んで言いわけですか? 誰が見ても明らかな状況で嘘偽りを並べ立てても、ご自分達の立場を悪くするだけですよ」
この状況でも俺達の方が数的に不利なのは変わりなかったが、今は完全に立場が入れ替わっている。そういや、連中は古泉がどうのって言っていたな。そっか、思いを寄せていた男子生徒にこんなところを見られたら、誰だって真っ青になるよな。でも、俺は連中に同情なんてしないぞ。どう考えても自業自得だ。
「……」
「とはいえ、ここでお引き取り頂けるようでしたら、それで不問にいたします。僕としても、ことを荒立てるのは本意では有りませんからね」
古泉は目を細めたまま微笑みを浮かべたが、それはまさしく氷の微笑というやつだった。凍てつくような表情を横目で見て、それが俺に向けられた物じゃなくて良かったと思ってしまう。俺のことを嫌いと言ったときだって、古泉はこんな顔はしなかった。
古泉の発言に怖気づいたんだろうか、さっきまで俺を取り囲んでいた女子達は蜘蛛の子を散らすように居なくなってしまった。……このまま二度と俺の前に現れないで居てくれると助かるんだが。
「あなたも不用心すぎますよ」
「不用心って……別に、呼ばれたから着いていっただけだ」
「その時点で怪しいことに気づいてください。全く……涼宮さんが気づく前に僕が気づいたから良いようなものの、順番が逆だったら大変なことになっていたのかも知れないんですよ」
なんだよ。助けてくれたと思ったらその次は説教なのかよ。そりゃあ、何の警戒心もなく着いていったのは確かだけどさ。予兆も何も無かったんだ、仕方ないじゃないか。
「……部室に戻りましょう」
「ああ」
助けてもらったってのに、何かギクシャクしている。古泉が余計なことを言うからだ。
そういや、あいつらも妙なことを言っていたが……確かめられるような空気でも無さそうだ。気になることはいくつかあったが、俺はその疑問をぐっと喉の奥へと流し込んだ。
古泉と共に部室に行ってみると、そこには誰も居なかった。不用心にも扉が開けっぱなしのままになった部室の中には、ハルヒからの書置きが一枚きり。出かけてくるから留守番してなさい、とのことだった。誰と出かけたかとか、誰に対しての伝言だとかっていう記述は無いが、ホームルームが終わってからもう結構時間が経っているのに朝比奈さんや長門も来ていないから、きっと三人で外出中なのだろう。
部室の扉を閉めてしまえば、古泉と二人きりだ。普段だったら二人でゲームをして時間でも潰すってところなんだろうが、どうもそういう気分じゃないな。
「……さっきはありがとう」
「いいえ、僕はただ必要なことをしたまでです」
こっちが礼を言っているのにその回答はどうなんだ。まあ、その通りかもしれないけどさ。必要って単語自体もちょっと引っかかる。必要とか不要とか、それって一体どこに基準が有るんだよ。
「なあ……お前は、あいつらが俺を呼び出した理由を知っているのか?」
はっきりと言うのはどうかと思ったが、こういう質問の仕方なら有りだと思う。あんなタイミングで駆け付けた上、事情を知っているようでも有った。何も知らないってことは無さそうだ。
「ええ、大体分かっていますよ」
「そっか……何か、変な感じだよな。俺が、お前に、なんて……」
「……」
沈黙で回答しないでくれ。何を言ったらいいか分からなくなるじゃないか。
薄茶の瞳がじっと俺のことを見据えている。
「僕には、彼女達が間違ったことを言っているとは思えませんね」
「え……」
「あなたはそういう風に見えてもおかしくは無いだけのことをしているんですよ。自覚が無いんですか?」
「えっ、と……」
自覚、なんて言われても、そんなもの有るわけ無い。
だって俺は男で、古泉も男で……そりゃあ、今の俺は女の身体になっているけど、それは身体だけなんだ。心の中は男の時と大差ない、と思う。以前だったら持ち得なかったような感情を抱いた瞬間が無いとは言わないが、それも、状況が目まぐるしく変わっていったからだ。
「あなた自身がどう思おうと、今のあなたは女性なんです。……僕もそのように扱っているつもりだったんですが、どうやらあなたには分かっていただけ無かったようですね」
「ど、どういうことだよ……」
「こういうことですよ」
反論する隙も抵抗する時間も無かった。古泉はあっという間に俺の手を掴むと、そのまま俺を壁際へと押し付けた。
「なっ……」
「……全く、あなたの中途半端さには呆れてしまいますね」
何、言ってるんだ?
中途半端って、今の俺が? そりゃあ、今の俺は、本当は男なのに女の姿だから、半端と言えば半端だが……でも、多分、古泉が怒っているのはそういうことじゃないんだ。古泉は、ほんのちょっと前まで俺に同情気味だったじゃないか。今の俺のことは嫌いじゃないと言っていた。可愛いとか、綺麗だとか。そんな台詞さえ口にしていた。
それは主に外見に関する意見だったのかもしれないが、少なくとも、真っ向から嫌悪感を向けられていたわけじゃ無かった。それは俺の勘違いでは無い、と思う。デートみたいなことをして、抱きしめられて、それを少しだけ嬉しいと思って、好みの女になってやると啖呵を切って、だけど俺はやっぱり男だから、これが本当の姿じゃないから、そうなるための方法が分からなくて……なあ、俺がいけないのか? 俺が半端なままだったから、古泉を怒らせてしまったのか?
古泉は呆然としている俺の腕を片手で掴んだまま、もう片方の手で俺の髪を結んでいるリボンとゴムを強引に取って行った。
「痛っ……な、お前、何するんだよ」
「いい加減にしてくれませんか? あなたみたいな人に振り回されるのはもうたくさんだ」
振り回される? 何を言っているんだ? 俺にそんなこと出来るわけないじゃないか。男だったときならまだしも、この姿になってからは俺の方が翻弄されてばかりだ。何を勘違いしているか知らないが、俺は、別に……なんて、言えたら良かったのかも知れないが、怒りを露わにする古泉を前にして、俺は完全に言葉を失っていた。恐怖で声も出ない、動くことも出来ない、そんな状況が本当に有るんだと思い知らされる。
ついさっき古泉はまるで氷のような微笑を浮かべていたわけだが、今のそれは、怒りの度合いはともかく方向性が真逆だった。さっきの微笑が自分の与り知らぬ場所で余計なことをした人間に対する嘲笑混じりの物だとすれば、これは、何も理解しない愚者に対しての怒りだ。
長いリボンを手に取った古泉は、そのリボンを使って俺の手を頭上でまとめあげた。
「な、お前何してっ」
「何って、見ての通りですよ」
リボンだけなら千切ることが出来たかも知れない。でも、その上にネクタイまで巻かれて結ばれちゃどうしようもない。古泉は結び目をきつく締めると、今度は掌で胸元に触れてきた。
「な、な……」
「ああ、怖いんですね。……怖がっているその顔も、なかなか魅力的ですよ」
くそ、こいつ趣味悪過ぎるだろ。
ぐっと、その指がカーディガンの上から深く沈んでいく。服越しでは有ったが、胸の上に男の指が、手が、腕が……その状況が一体何を意味するのかということを考えて、俺は身体を強張らせた。足元から這い上がって来たその感覚は生理的な嫌悪に近い。
「や、やめっ」
「やめませんよ」
もう片方の腕で肩をぐっと抑えつけられて、俺はそのまま尻もちを着き、壁と床の間に蹲るようなかたちになってしまった。古泉の身体がその上に覆い被さっている。
「お前、何、考えて……」
「見ての通りだと言ったでしょう。それとも、この状況を見ても何も分からないとおっしゃるんですか?」
……分からない、と、言えたら良かったんだろうか。
餓えた獣のような眼をした古泉が、その表情だけで俺に現実を叩きこむ。こいつは男で、今の俺は女で……余りにも単純で明快なロジックが導き出す答えが目の前に有るせいで、現実逃避さえままならない。
「やっ、やだ、やめて……」
「やめませんよ。……良いじゃないですか、戻らないというのでしたら何時か経験することなんですよ。それが遠い未来だろうと今だろうと、大した違いなんて無いでしょう」
そんなふざけた理屈が有るか。こういうのって好きな人とすることだろう。こんな無理矢理、同意も得ずに腕を縛ってなんて、人権無視にもほどがある。口にしたいことは幾つも有ったのに、俺の反論は全て古泉によって塞がれてしまった。唇に上に唇が被さってしまったら、喋ることなんて出来やしない。押し付けられた唇の中からぬめった舌が出てきて、その舌が俺の唇を割って入ってくる。あまりの予想外の行動に、俺は抵抗することも忘れその舌を受け入れてしまった。
「んっ……」
何だ、これ。
スキンシップ程度で妹やシャミセンと唇を合わせた回数なんぞ数知れないが、こんな風に舌を入れられるキスは初めてだ。……ひとの舌って、こんな感じなんだ。熱くて、ぬるっとしていて、でも、少しざらついている。自分の舌だって大差ないが、普段自分の舌の感触を感じるようなことは無い。始めての感触を前にして、俺は抵抗することさえ出来なかった。
ざらりとした舌に歯列の裏側を舐められて、背中がぞくりと震えた。身体が変だ。おかしい。呼吸がし辛い、息が苦しい。何か、頭がぽうっとなるような。空気が足りないからだろうか。
「あっ……」
そろそろ息を吸わないと、と思ったところで、古泉の舌が唇の中から離れていった。顔が少し赤い。その舌で唇をなぞるところを見て、生血をすする吸血鬼のようだと思ってしまった。
「かわいいなあ」
古泉は縛った俺の手を片手で持ち上げたまま、もう片方の手でスカートの中に入れられていたセーラー服の端を引き出し、その中に手を入れてきた。長い指先がぞわぞわと泡立ってきた肌を辿りながら、胸元へと向かっていく。さっきのような、服の上からただ手指を押し付けるだけの動作とは違う。その動きには、明確な意思がある。息を飲んで後ずさりしようとしたけれども、後は壁だ。逃げられない。
「んっ……」
指先がブラジャーに触れた、と思ったら、そのまま下に引っ張られた。元々きついのが嫌で一番緩めの部分でホックをかけていたからだろうか、ブラジャーはあっさりと下ろされていった。
「へえ……」
「やめっ、やめろってば。ひゃうっ」
胸をきゅっと揉みこまれたせいだろうか、思わず変な声が出た。こんな場所、他人に触らせたことなんて無い。そりゃあ着替えの時とかにハルヒにちょっかい出された事は有るが、所詮笑い話で済ませられるようなものだった。けれど今この状態は笑い話でもなんでもないのだ。古泉は一見して何時もと大差ない微笑みを浮かべているように見えるが、目が笑って無い。性質の悪いことに、それは狩りをする肉食獣と言うよりも、食べる気も無いのに獲った獲物を弄ぶ家猫のような目つきだった。
「ん、ぅ……いやぁっ」
じたばたともがいて逃げ出そうとしても、あっさりと動きを封じられてしまう。柔道とかレスリングで時々有る、相手の動きを利用して抑え込むってのを身をもって体感しているようなもんだ。要するに、動けば動くほど逃げる余地が無くなっていく。
「ふぁっ」
胸元をまさぐっていた指先が、小さな突起を摘まみ上げた。ちくり、と痛みを感じたのはほんの一瞬で、その後に続いてきたのは俺の知らない感覚だった。追い詰められた状況で何に似ているか考えてみても、はっきりとしたものが見つからない。もやっとした、痛みとは違う感覚。馴染みは無い、ただ、身体に馴染まないというものでもない。
「ここ、敏感なんですね」
「な、何言って……」
「だって、こんなに感じているじゃないですか」
……感じてる? 俺が? 古泉の言っている言葉の意味が分からなくて、俺はただ目を白黒させるしか出来なかった。感じているってどういうことだろう。ああいや、性感帯がどうとか、感じるため、感じさせるためにはどうって知識が全く無いわけじゃないぜ。でも俺の中にあるのは所詮知識だけだし、俺自身この身体に慣れ切ったわけじゃない。少ない知識と男としての経験値以下の物を総動員して分かることなんて、高が知れている。この身体に対する性的な好奇心は無かったのかって? そりゃあ全く無かったわけじゃないさ。俺だって元は男なんだ、女の子の身体に対して人並み程度の好奇心や興味はある。だが、最初はドタバタし過ぎていて正直それどころじゃ無かったし、落ち着いてきた頃には日常に忙殺される羽目になってしまった。男だったら溜まるってことも有るんだが、女子の身体ではそういうことはあまり無いらしい。女子がそうなのか、たまたま俺がそういう身体なのかは分からないが、
「乳首、硬くなっていますよ」
古泉が俺の身体の変化を指摘して、俺はようやく自分の身体が少しずつ反応し始めていることに気づいた。気づかされた、と言った方が正しいんだろうか。視覚情報じゃないが、言われたと同時にきつく摘ままれれば嫌でも自覚する。かっと顔が赤くなる音が聞こえた気がした。同時に、ふっと身体から力が抜けていく。
「あっ……」
「ふふ、かわいいですね」
古泉は俺が怯んだ隙を見計らって腕を後ろに回すと、ブラジャーのホックを外してしまった。下側へずらされていたブラジャーが今度は制服ごと胸の上までまくりあげられる。柔らかな胸元となだらかな腹部が古泉の目の前に晒される。
カーディガンが手放せなくなってきたこの季節、触れた空気は少し冷たい物のはずだったのに、俺は寒さをほとんど感じなかった。身体が火照っている。
「なっ……」
頬がどんどん紅潮していくのが分かって、そのまま顔を逸らしてしまったけれども、そんなことをしたって隠したいものが隠せるわけじゃない。古泉は軽い笑い声を立てると、その唇で硬くなった胸の突起にしゃぶりついた。
「ん…や、めっ……あぁっ」
強く吸われたその瞬間、感じたのは痛みでは無い何かだった。なんだこれ。ピリッと胸の奥に響くような、腰が重くなるような。なんで触られたのとは違う場所がじわりと熱くなるような感触が有るんだろう。
「あ、あ………んっ、や……ふぁっ」
抵抗しようにも手は縛られたままだし、古泉は上手く俺の脚の間に入って来ているから、足をばたつかせたってどうにもならない。いっそ縛られた手で殴ってやれたら良かったんだろうが、抑えつけられている状態じゃそれも厳しい。手首に触れているのは片手だけだから、これが元の俺か、いや、そうでなくても何でも無い状態だったら振り払えたのかも知れないが、こんな状態じゃそれもままならない。力を集めようと思っても、与えられる刺激のせいで分散していってしまう。
古泉の舌が器用に動いて乳首に巻き付いたかと思ったら、今度は舌先で内側へ押し込まれるようにされ、軽く歯を立てられる。予想もつかない刺激が来るたびに、身体の彼方此方でピリピリとした知らなかったはずの感触が生まれていく。
「く……や、やめろってば」
「おや、やめて良いんですか?」
古泉は乳首から唇を離すと、俺の眼前で意地の悪い笑みを浮かべた。
「あ、当たり前だっ。こ、こんな無理やり……」
「それが何だって言うんですか」
「なっ……」
「無理矢理だろうと合意だろうと、やることは同じでしょう」
さらっと恐ろしいことを言いやがった。おかげで一気に肝が冷やされた。背中を伝っていった震えは、明らかに恐怖によるものだった。こいつ、絶対おかしい。
「んっ…」
「良いじゃないですか、あなただって楽しんでしまえば良いんですよ」
それが怯えている相手に言うことかよ。話術は得意だったんじゃ無かったのか。だったらせめて言葉で丸めこむとかしてみろよ。無理矢理なんて嫌だ。ちゃんと合意の上で、好きな人と……そう、好きな人とするものだろう。こいつは俺のことなんて好きじゃないんだ。ただ、怒りと苛立ちをぶつけているだけなんだ。最低だ。古泉のことを性格の悪い奴だと思ったことは一度や二度じゃ無かったが、こんな最低男だとは思わなかった。
「……泣いたって誰も助けに来ませんよ」
古泉は冷やかに言い捨てると、今度は俺のスカートを中に手を差し入れてきた。抵抗? もちろん試みたさ。だが、女子の力で抵抗して敵うような相手じゃない。心は叫び声をあげようとするけれど、俺は悲しいくらいに無力だった。
長い指先が太ももの内側に触れたかと思ったら、ぐっとそこにある肉を手のひらで掴まれた。
「なっ……んぅ」
抗議のための声は、手指の動きによって生じた感触によって離散して行く。その手が下着の端に触れる。そんなとこ触るんじゃない。そこは勝手に触られて良いような場所じゃないんだ。俺自身だって風呂に入って身体を洗う時に恐る恐る手を伸ばす程度なんだぞ。
「ああ、もう濡れてますね」
長い指先がショーツの上を軽くなぞっていった。
「……っ」
俺は無言で顔を逸らした。古泉の言葉が何を意味するか分かってしまったからだ。古泉はそんな俺の反応にも構わず、ショーツの隙間から指を滑り込ませた。その瞬間、俺はただ息を飲むことしか出来なかった。ちゃんと空気を吸うことが出来たんだろうか、何だか酸素が足りない。頭が上手く回らない。それなのに、感触だけは妙に生々しく伝わってくる。本当、最低だ。
「んっ……」
ぎゅっと目を瞑ってみても、その感触を追い払えるわけじゃない。滑り込んだ指が茂みをかきわけ、柔らかな粘膜のところまで辿り着く。ひくっ、と、喉が鳴った。ぐるりと視界が回転するほどの衝撃が有ったけれども、本当は俺の身体は殆ど動かされちゃいない。滅多に触れない場所に触れられたことで気が動転してしまったのだ。
「……やぁ」
「すごい、溢れてくるみたいだ」
古泉は左手でスカートを持ち上げ、その下の様子を俺の視界の端にも入るようにしやがった。羞恥を煽るためにやっているってことは分かってるはずなのに、俺は何も言えず、ただ子供のように首を振ることしか出来なかった。腕を動かして古泉を殴ってみようとするけれども、目を瞑ったり逸らしたりしている状況じゃ簡単に防がれてしまう。
長い指が蠢いて、露出させた薄赤い秘肉の上をなぞり、半透明の液体をすくいあげる。古泉はその指先を顔のところまで寄せると、口元に、って、マジかよ。
「あなたの味がしますね」
にこやかに笑って言うんじゃない。普通の女の子だったらドン引きか、でなきゃ恐怖を押し上げられて泣くところだ。だが生憎俺は普通の女の子、なんて枠組みからは大きく外れてしまっている。怖い、と思っていることは確かだが、その時俺の心の底から湧き上がってきたのは、恐怖とは違う何かだった。心臓を鷲掴みにされるようなこの感覚は、一体何に例えれば良いのだろう。
「あっ……」
「かわいいですよ」
古泉は俺の耳元でそんな台詞を囁くと、濡れた指先を俺の頬に押し付けた。軽やかな、けれど熱を帯びた声が鼓膜の近くで響いて、俺はびくっと身体を大きく震わせた。その隙に、もう片方の手が秘められた箇所に触れた。さっきまでの、指先だけ、表面に滲み出た液体をすくうだけの動きとは違う。薄赤い肉の上をてのひら全体で包み込まれる。
「や、あ……」
触れられただけでもびっくりするほど熱い。熱くて熱くて、上昇した温度を逃がす方法を探すけれども、俺はその方法を知らずに空気を求めることしか出来なかった。女性の身体にも性的な絶頂が有ることは知識として知っているが、身をもって知っているわけじゃない。性的な、って……その状況自体相当な無理を感じるのだが、無理でも無茶でも、それが目の前にある現実だった。
古泉の手が赤い肉の上を辿っている。じゅぷじゅぷと聞こえる卑猥な音が少しずつ大きくなってきている気がするのはどうしてだろう。
「……えっ」
不意に、緩やかに上昇していたはずの体温が一気に押し上げられるような衝撃が有った。コンロの火を弱火から強火に切り替えたってこれほどの変化は無いだろう。
「な、なに……」
内部に還元されるようなところばかりが強く感じられて、俺は一瞬自分が何をされているか全く理解出来なかった。そう、感覚が伝わる順番が覆されるほどの衝撃が有ったのだ。
「ちょ、や、や……ひゃっ」
触覚で分からないなら視覚に頼るしかない。見るのは怖いというか抵抗が有るんだが、状況が分からないってのはもっと怖い。好奇心猫を殺すとはよく言ったもので、その光景は、正しく殺傷力抜群ってやつだった。古泉が指先で柔らかな肉の中にある突起を摘まみあげていたのだ。小さな小さな、直径一センチにも満たないそれが何であるか、俺には分かってしまった。一応、知識としては……ああもう、本当に知識しかないけどな!
そんな知識ばかり、その知識さえ覚束ない俺が叩きこまれるような快楽の波から逃れられるわけないじゃないか。
「あ、あ……あ、い……いやぁっ」
「いやじゃないでしょう?」
お願いだから、こんな状況で耳に息を吹きかけるようなことをしないでくれ。思わず目を閉じたら、それと対照的に下腹部の方から与えられる衝撃が強くなった。古泉がぎゅっと強く押し潰すようにしたからなのか、それとも、視覚を遮断したせいで他の感覚が強くなったからなのか。
「や、あ…………っ」
唇を結ぼうと思っても、声が勝手に漏れていく。自分の意思なんぞとは裏腹に身体の彼方此方が勝手にびくびくと震えて、手も足も言うことを聞いてくれない。何か足先の方の感覚が薄れていっているような気が……多分、それは気のせいじゃない。それは、感じてるってことなんだろう。
何も知らない、何も教え込まれていない身体であっても、本当に何も分からないわけじゃない。古泉が耳元で、気持ち良いでしょう、なんて囁いたせいかも知れないけどさ。
目を開けているのが怖くて、だけと閉じているのも怖くて、仕方なく薄らと目を開いてみたけれども、その視界もだんだんと霞んでいく。悲しい、辛い、苦しい、悔しい。いろんな感情が綯い交ぜになっているとはいえ、こんな状況で泣いてしまう自分が情けなかった。男の涙ってのは大事なところに取っておくものだろう。今の俺は女だけどさ。
「んっ――――」
霞んだ視界が涙とは違う理由で暗くなっていくような感覚が有って、俺は思わず目をぎゅっと瞑った。目を閉じた方が、なんて考える余裕は完全に失われていた。一瞬にして全身の感覚が奪われ、そのことに恐怖するよりも先に、違う何かが身体の奥底から湧き上がってきた。手足の先が痺れているけれども、痺れているというのに不快感は全く無かった。
「え……」
何が何だか分からない。呼吸出来ているのが不思議なくらいだ。頭が完全に真っ白になっている。一分前のことは何とか思い出せても、十分前のことまでは辿りつけないほどのぶつ切り状態だ。
「いっちゃったみたいですね」
いく? 今のが? ……そっか、女の子の身体でいくのって、男と全然違うんだな。何かもう、思考も視界も感覚も、何もかもが吹っ飛ばされたみたいだった。男の時の、出して終わりってのとは大違いだ。なんかまだ身体が落ち着かない、全身が重く……は無いな、どっちかっていうと身体が軽くなってふわふわ浮いているみたいだ。変なの、俺は壁際に蹲ったままなのに。
「え、あ……な、ちょ、やめっ」
身体の調子はさっぱり戻って無かったが、視界は復活している。って、こいつ何しているんだよっ!
「あなただけ気持ち良くなっても仕方ないでしょう」
古泉は冷やかとも暖かとも言い難い、あまり温度を感じない微笑みを浮かべると、強引に俺の脚からショーツを脱がして行った。破られるかと思った。いや、破られるのも脱がされるのも大差ないと言えば大差無いのだが。
「すごい……もうぐちょぐちょですね」
一々説明しなくて良いから。
古泉はすっかり赤くなってしまった部分を指先でなぞると、その中につぷりと指の先端を埋めてきた。
「あっ―――」
その瞬間、下腹部に想像以上の衝撃が走った。痛みとも熱さとも言い切れない何かが身体の奥底から浮かび上がってくる。
「い、や……いやだぁっ」
一度限界を見た後だというのに、更なる場所に押し上げられていく。その先に有るのは快楽なのかも知れないが、俺の心を支配するのは恐怖と絶望でしか無かった。なんだよこれ、こんなの知らない。長い指がぐっと中に潜り込んでくる。自分の身体の中に、こんな風に他人の一部を受けいれることが出来る器官が有るということが信じられなかった。女の子の身体にそういう部分が有るっていうのは分かっていた。自分が女の子になっているって状況も充分理解しているつもりだった。だけど、だけど本当は、本当は――――俺は、何も分かって無かったのだ。見た目の変化以上の何かが有るなんて、ちっとも分かって無かった。見た目や立場が違えば、周囲の認識だって変わってくる。元々の部分に変化が無くたって、時間が経てば変わっていく。俺が古泉と一緒に居れば、男だったときと違うことを思われるし、それが理由で古泉が困ることだって有るだろう……俺は、本当に本当に、何も分かって無かった。
……そんな、突き付けられた事実の前に絶望するしかないような状況だというのに、俺の身体は中にある物をぎゅっと強く締め付け、跳ね返ってくるような快楽を受け止めきれずに勝手にびくびくと動く。
「やぁ……んっ――」
内側の部分を強く押されて、背中が跳ね上がった。古泉がそんな俺の身体を片手だけで制して、頬にキスを落とす。神経が強制的に別のところに集められているようなものなので、そのキスの感触さえ分からなかった。ただ、笑っている古泉の顔を見て、悪魔みたいだと思っただけだ。
「もう一本増やしますよ」
古泉は許可を求めているんじゃない。単に言葉で俺の羞恥を煽っているだけだ。中に指が増やされ、バラバラに動き始める。感じる場所を刺激するような、中を広げていくような。形容しきれるわけもないその動きに、俺はただ翻弄され続けるしかなかった。視覚情報が無いことを恐れて一瞬だけ視線をそちらに向けてみたが、とろとろと零れる半透明の液体が古泉の手に降りかかっていて、何とも言えない気分になっただけだった。
不意に、古泉がそこから指を抜いた。……それが何を意味するのか、その後に来るものが一体何なのか。ここで分かりませんなんて言えるほど俺はバカじゃない。目を閉じていても聞こえるカチャカチャという金属音、衣擦れの音。もしも手が自由だったら、逃げるよりも耳を塞ぐって方を選んだかも知れない。どうせ、力で敵うような相手じゃないんだ。
「力、抜いてくださいね」
なんでこういう時の声だけは優しいんだろう。その優しさで全部騙してくれれば良かったのに。たとえ古泉が俺を嫌いでも、好きになれなくても。こんな無理やりじゃなく、優しい嘘に包んで抱きしめてくれれば良かったのに。そうしたら、俺も、
「やっ……いやぁぁぁぁぁぁぁっ」
何も言いたくない、何も聞かせたくないと思っていたのに、俺の喉はあっさりと俺の意思を裏切っていった。目も眩むほどの痛みが押し寄せてきて、もう、どうしようもなかった。ギチギチと中を広げられていく。目一杯に。
痛みに耐えかねて自然と開いてしまった視界の先に、古泉が俺の中に入ってこようとしている光景が有った。固くて太いものが、俺の身体の中に……そんなの、入るわけないだろうと思うのに、古泉は容赦なく俺の中に自分のモノを埋めてきた。
「うぅ……」
泣きたくは無かったけれど、涙を流す以外に出来ることなんて何も無かった。痛い、痛い、痛いし熱い。それなのに、中の粘膜が熱さを求めるように収縮を繰り返している。
「動きますよ」
中に入っているだけでも痛いってことは、当然、そこで動かされればもっと痛いってことになる。容赦の無い古泉の動きが俺の身体を攻め立てる。古泉のモノが出入りするたびに、そこが火傷するんじゃないかというほどの痛みが有った。傷を抉られ続けているみたいだ。
「あ、あぁ……」
でも、俺が感じているのは痛みだけじゃ無かった。痛みの中に混じる微かな疼き。最初は小さかったそれが段々と比率を変えていく。或いは、痛みに耐えられなくなった俺の身体が、痛みとは違う感覚を積極的に拾い上げていっているのかも知れない。
強く突き上げられるたびに下腹部で湧き上がる、自分の知らない何か。それが快楽に繋がる物であることに気づいたのは、痛みが殆ど消え失せてからだった。そして、それは同時に俺の限界が近づいていることを示していた。
……怖い、本当に怖い。
何で、何でこんな、無理やりなのに……一方的な搾取のはずの場面で感じてしまうということに対する恐怖が湧きあがってくるのに、それすらも強い快楽に捩じ伏せられてしまう。
中に入っている古泉の動きが早くなって、こいつも限界が近いのか、まさか中で出す気じゃあ、と思ったその直後、一際高い波に浚われるようにして、俺の意識はふっと白い何かによってかき消された。
……意識が、もとい、視界が復活したときに最初に見えたのは、自分の中から萎えた男性器が出ていくところだった。最中は当然として、これはこれでリアルというかグロテスクというか。溢れ出る乳白色の液体に微かに赤い物が混じっているのが、状況の痛々しさを物語っている。始めてで、無理矢理で――この場で思考をシャットアウトして舌噛んで死ぬ、という選択肢を選ばなかった自分を褒めてやりたい。身体を支配するのは快楽の余韻でも、心を支配するのは絶望の二文字に間違いなかった。
古泉は萎えた物をとり出したティッシュで軽く拭って服の中にしまうと、俺の身体から溢れているものも軽く吹き取り、ブラジャーのホックをかけ直し、放り出されていた下着を履かせた。何となくされるがままになってしまったのは、まだ身体に力が戻って無かったからだ。その状態で拘束のために使われていたネクタイとリボンを外されても、俺は古泉を殴ることさえ出来なかった。
「……バカ野郎」
小さな罵倒の言葉は果たして古泉の耳に届いたんだろうか。
「あなたほどじゃありませんよ」
捨て台詞のような台詞を一言残して、古泉が部室から出ていった。追いかけるだけの気力や体力が有ったら追いかけていたのかも知れないが、立ちあがることさえ覚束ない俺はそこで蹲ることしか出来なかった。肌を合わせていた時の余韻が消えたからなのか、やけに寒い。そういや、ストーブ付いてないや。ストーブくらいつけた方が良いかな、と思って立ちあがろうとしたら、腰の辺りに鈍い痛みを感じた。
「あっ……」
思わず、ぺたんとその場で腰を下ろしてしまう。無理をすれば立ちあがることは出来るだろう、歩くことも可能かも知れない。でも、その痛みを自覚するのが嫌だった。耐えられないほどの痛みじゃないが、そんな場所が痛むという事実を自分の身体から追い出したかった。どのくらい大人しくしていたら、痛みが消えてくれるんだろう。
ずきんっと、身体の痛みとは違う何かが響き渡る。……心が訴えるものだと気づくのに、少し時間がかかった。心が折れそうになっている。目の前の現実を見つめたくない。なんで、なんでこんなことになってるんだよ。
だって古泉は、俺に優しかったじゃないか。女になった俺のことを可愛いって言ってくれた。綺麗だって言ってくれた。だから、俺もそんな古泉の言葉に応えようと……なあ、俺は何かを間違えたのか? 一体何をだ? 俺の覚悟が足りなかったのがいけないのか? だって、だって、こんなことになるなんて。想像出来るわけないじゃないか。
覚悟も自覚も足りない俺が引き起こしたんだという自覚は有った。自分の無知さを悔んだ。だけど、だけど……こんな有り得ないような状況で覚悟を決めることなんて、俺には無理だったんだ。男だとか女だとかいう以前に、俺は弱い人間だった。物事の裏側にまで気を回せるような人間じゃ無かった。だから誰かに……古泉に、要らぬ負担をかけてしまったんだろう。そんな状況を引き起こした自分が嫌で嫌で仕方が無かった。古泉が切れたのも……当然、というわけじゃないけれど、そこに至るまでの原因は間違いなく俺に有るのだ。
絶望に打ちひしがれたままぎゅっと身体を抱きしめていると、沈黙を破るような元気な足音が聞こえてきた。さっと視線を扉の方に持ち上げたが、身体が動いてくれない。いけない、何事もない振りをしないと、と思っても、身体がそれを裏切る。足も身体も重くて、上手く持ち上げられない。
「たっだいまー、ごめんね、思ったより時間かかっちゃって――」
部室の扉がバンっと大きな音を立てて開き、ハルヒが入って来た。見上げることしか出来ない俺の前で、ハルヒが声を止めた。
目が合ったその瞬間、俺はどんな表情をしていたんだろうか。
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