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正しい彼女の作り方(仮) プロローグ



「わたし、あなたに恋をするためにここにやって来たんです」

 ――誰か、俺にこの状況を解説してくれないか?
 俺の目のは前についさっきまで顔を見たことがあるかどうかさえ疑わしい曰くつきの女、場所は生徒会室、先ほど指差された書類は一ヶ月以上前に印刷されたはずの物なのに、そこに有る名前が書き変わっていて――この状況を要約すると、どうやらこの女は周囲の記憶や記録を書き換えてここに現れたってことになるらしい。なんでそんなことが出来るのかって? そりゃあこいつが宇宙人、正確には宇宙のどこぞに居る人外生命体が作った人造人間のような存在だからだ。正式名称が有ったような気がするが、この際名称なんぞどうでもいい。
 そんな女が生徒会書記の立場を常識では考えられないような無茶な方法で手に入れ、俺の目の前に立っている。
 ……そこまでは良いんだ。いや、ちっとも良くないが、なんでそんなことが出来るんだとか、どうしてそんなことをしたんだって問う必要は無いだろう。前者については前述の通りだし、後者についてもそれなりの理由ってものが存在する。なんでもこの学校は学園陰謀物すれすれのおかしな背景事情が幾つかあるらしく、この学校で実権を握ることにはそれなりの意味が有るらしい。でもってその中には宇宙人(面倒なのでこう呼んでおく)的な利益とやらも含まれるってことだ。馬鹿みたいな話としか言いようがねえんだが、幸か不幸か俺もその学園陰謀物の登場人物の一人であることに間違いないので、馬鹿げているとは思っていても有り得ないことだと切り捨てることは出来無いというか、切り捨てようとしても徒労に終わるだけだってことを知っている。
こいつが俺の視界に割り込んできたという事実に対して、俺が出来ることなんぞ何も無い。情けないことと言われそうな気もするが、相手は宇宙人なんだ。単なる人間の俺にどうにか出来るわけねえだろう。
 自分の周囲に何か妙な人間が――人間とは限らない、という前置き付きで――やってくるという可能性は、俺をこの陰謀物めいた世界に巻き込んだ野郎に示唆されていた。そしてそれが現実になった。そうだ、それだけのことじゃねえか。実際にあるとは思って無かったが、まあ起こってしまった以上はそれが現実ってやつだ。周囲の人間が突然登場した女の存在に何の疑問も抱いてなさそうだったのは少々不気味だったが、表情や仕草だけで書類の変化を指摘された時点で大体の事実関係を掴んだ俺は、その場で余計なことを言うのは止めた。下手に騒げば俺の方が変人扱いされる。
 その後他の連中が帰った後にこの女だけを呼び止めたってわけだ。正直に事情を吐き出すとは思え無かったが、それでも一応聞き出したいという素振りくらい見せておくべきだろう。邂逅初日からノーリアクションで通すってのも一つの手だが、俺はその方法を選ばなかった。何故かって? 俺にも一応人並み程度の好奇心ってものがあったんじゃないか。あるいは、俺の記憶だけを改竄しなかった理由が気になったのかも知れん。ま、俺だけが事情を知っている人間だからって以外の理由があっても困るんだが。
「……」
 どんな言葉が返ってきたとしても動揺を見せないよう、無駄かと思いつつもあれこれと考えていたんだが、そんなくだらない想像の数々はその女の回答だけで完全にぶっ飛びやがった。こいつ、何言ってんだ。
「わたし、あなたに恋をするためにここに来たんです」
 同じことを二回説明するな。言われなくても分かる。……いや、分かんねえな。さっぱり分からん。恋をするためにって、なんだそりゃ。恋、恋って……どう考えても『なんだそりゃ』としか言いようがねえな。宇宙人製アンドロイド少女の口からそんな言葉が飛び出すとは思ってなかった。
「……マジか?」
「はい、本気です」
「……」
 真顔で言われても困ると言うか、それに返せる言葉がさっぱり思い浮かばない。俺にどうしろと。
「あら、どうして溜め息を吐かれるんですか? お気に召しませんでしたか?」
 そういう問題じゃないだろう。他人の都合を一切合財無視して登場したことについて文句を付けるつもりはないと言うか、これも可能性の一つとして処理できないことも無いんだが、恋ってなんだ、恋って。何が目的か知らないが、俺を巻き込むこと前提かよ。
「……恋をする、って言ったな、そりゃ、どういう意味だ」
「文字通りです」
「恋ってのは自覚的に『する』もんじゃないだろう」
「そうなんですか?」
「俺の価値観を君に押し付けるつもりはないが、世間一般的にはそうなっているんじゃないか」
 恋愛なんてのは自覚して相手を選んだり、しようと思ってするようなもんじゃないだろう。恋人が欲しいなあと思いながら好みの相手を探す、というようなことは有るかも知れないが、うっかり好みとは真逆のタイプに恋をしたり、なかなか良い相手が見つからず恋すること無く時間が過ぎていってしまったりって場合も有り得る。少なくとも、好きでも無い相手を前にして、あなたに恋をします、などと申告するバカはそうそう居ない。
「俺は君のことが好きなのか?」
「いいえ、でも、好きになるためにやってきました」
 笑顔で言うんじゃねえよ。背景抜きに考えればそれなりに良い女だと思えるくらいの容姿の持ち主だってのに、これじゃ完全に逆効果だろう。正体不明、思惑の見えない綺麗な女ってのは気味が悪い。
「好きにって……」
「そうですね、突然現れた婚約者のようなものかと思っていただければよろしいかと思います」
 思いたくねえよ。大体、その例え自体相当無理があるだろ。この国に住んでる高校生の中で、そんな状況が実際に振ってくると思っている奴なんて千人に一人もいねえっての。
「婚約者って将来結婚する人ですから、元々好きだろうとそうでなかろうと、好きになること前提でしょう? ……わたしも、それと似たような立場なんです」
 いや、全然似てないって。
 そもそも婚約者だとか結婚だとか、意味不明にもほどがある。俺は出会ったその日に電波な台詞を吐くような奴と恋に落ちる気など無いし、宇宙人と添い遂げるほど狂ってるわけでもない。おかしな世界に足を踏み入れた自覚はあるが、一生こっちの世界で暮らしていくって決めたわけじゃねえ。
 突然現れた宇宙人が地球人の男の子に愛の告白をして、というアニメや漫画の心当たりが無いわけでは無いし、それはある種古典的なお約束の一つなんじゃないかという気もするんだが、そんなもんを学園陰謀物の上に重ねる必要性が無いだろ。新しい設定の一つだとしても、相当無理が有る。一体誰だよ、こんなことを考え……って、言いたい所だが、幸か不幸か追求すべき『誰か』について迷う余地は無かった。どう考えてもこいつの親玉の差し金だ。何考えてんだ。
「とにかく、わたしはあなたに恋をするためにやってきたんです」
 喜緑江美里はいきなり俺の手をがしっと掴むと、上目づかいで俺の顔を覗き込んできた。
「あ、あのなあ……」
「あなたがどう思おうと、わたしはそのためにここに来たんです。これは決定事項ですから」
 その細腕からは見た目では想像もつかないほどの力が伝わってきており、この現実が俺にとって避けがたいものであることを如実に伝えていた。



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