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正しい彼女の作り方(仮) 第一章
俺の目の前に非常にバカバカしい目的、いや、むしろ設定とでもいうべきものを抱えてやってきた喜緑江美里は、登場翌日からも全く勢いが衰えて無かった。
いきなり弁当を持って突撃してきたり、用もないのに俺のところにやってきたり、休日に偶然を装って俺の前に現れたり……一々羅列するのが面倒になってきた。要は、思い出すだけでも俺の精神力を疲弊させるような状況が続いているってことだ。
他の生徒や生徒会役員のいるところでは比較的大人しいが、二人になると途端にうるさくなる。おまけに用事が無くとも毎日生徒会室にやってくる有り様だ。個人的なプロフィールは良く知らんが、どうやら部活動には入って無いらしい。おかげで、生徒会の仕事をする振りをして適当に暇を潰したりタバコを吸ったり、という俺の息抜きの時間は減少の一途を辿っている。このまま北海道まで流された流氷のように溶け切って無くなってしまう日も近いんじゃないか。俺は見えないところでまで真面目な生徒会長で居る気はなかったんだが。
「こんにちは、会長、今日も大好きです」
……句読点は入っているが、これが喜緑江美里の定番の挨拶だった。最後の一文は大いに余計だと思うのだが、言っている本人はそう思って無いらしい。
「喜緑くん、今日は各部活動から上がってきた予算案の見直しだ」
「はい、分かっています。あ、会長、会長は今日も良い男ですね」
「……書類のチェックをしてくれ。予算は限られているからな、誤字脱字の多いところはやる気なしとみなして予算を削るくらいで良いだろう」
「あら、厳しいですね。……でも、そんな厳しい会長もとっても素敵です。わたし、そんな会長に惚れ直してしまいそうです」
用事が有るからと思って呼び出したらこれだ。今日は他に人が居るから大丈夫だと思ったんだが、どうやらこいつは本日臨時でやって来ている奴については全く関心が無いらしい。演じる必要も隠す必要も無いってことかよ。何時の間にか俺の一歩後ろに下がっていたもう一人の人物、もとい古泉一樹の方をちらりと見てみたが、驚いたような様子も無い。お前らお互い無視し合うんじゃねえ。気味悪いだろうが。
「……俺は帰るから、君はチェックをしておいてくれ。見終わった資料は引き出しに入れておけばいい」
生徒会モードの時の俺の一人称は『私』で通すことになっているらしいが、事情を知っている奴だけのところでそんな喋り方が出来るかよ。他はともかくこればっかりはどうも気持ち悪くて仕方が無い。
「了解いたしました」
鍵を受け取った喜緑江美里が笑顔のまま俺を見送る。背中に注がれる視線に何かしらの意味が込められている気もしたが、俺はそれを無視することにした。こういう時は振り返ったら負けだ。宇宙生命体製人造人間である喜緑江美里の仕事は早い。さくっと仕事を終わらせて、一緒に帰りましょう、などと言われたら逃げられない。そうなった場合、たった今俺の斜め後ろで微笑を浮かべている男はあっさり退散することだろう。こいつ、分かっていて笑ってやがるな。
古泉が生徒会室に来ていた理由なんて大したものじゃない。来年度の予算案の確認、それだけだ。各部活動に回る前のものは一応生徒会役員しか見られねえってことになっているんだが、どうせそんな理屈が通じるような相手でもないし、そもそもこの学校の生徒会をおかしな組織にした原因はこいつだ。喜緑江美里が俺の前に現れたのは宇宙人がその辺の事情に便乗してきたか、あるいは向こうには向こうの考えがあったってことなのかもしれないが、こいつにも責任の一端があるんじゃないか。
そして今更説明するまでも無いことだが、古泉は喜緑江美里の登場に関して全く驚いた様子を見せなかった。どうやらこいつの記憶も元のままらしい。宇宙人側からすれば、関係者故に手をつける必要は有りませんってことか、自分達は何時でもこのくらいのことは出来ますよっていう意思表示ってことになるんだろう。古泉はあの女個人のことに関してはろくなことを喋らなかったが、そのくらいのことは説明されなくても分かる。
不気味だろうが理不尽だろうがその辺の理屈について文句は無いと言うか、文句をつけても無駄なことは知っているんだ。……だが、だからと言って状況の全てを受け入れたわけじゃねえんだぞ。何とかしろ、と言いたくなることだってある。
「……」
事情を知っているならどうにかしろ、と言ったところ、古泉は俺と共に喫茶店に入り、携帯で一人の人物を呼び出した。それから三十分もしないうちに古泉が呼び出した人物が現れた。誰、と聞かされているわけでは無かったが、大体誰が来るかの想像はついていたし、現れたのは予想通りの人物だった。面白くもなんともねえが、こんなところで意外性を発揮されても困るのでこれで良い。陰謀物にしてもラブコメにしても、人数が増えた方がややこしくなるんだよ。今の時点で充分以上じゃねえか。
三点リーダでしか表しようがない沈黙と共に現れたのは長門有希だ。文芸部部長、というよりも涼宮ハルヒと愉快な仲間達の一人だと言った方が正しいな。喜緑江美里の同類でもあるし、今はその肩書が一番重要かも知れん。餅は餅屋ってことだ。
「喜緑さんのことでしたら、彼女の方が詳しいと思いますよ」
古泉は何時も通りの爽やかスマイルを浮かべたまま、長門有希を隣に座らせた。ついでに、店員に向かって長門の分の紅茶も注文している。って、ケーキまで頼むのかよ。
「事情を説明しろ」
「……何を?」
「喜緑江美里が俺の前に現れた理由だ。ただ生徒会に現れたってのなら分かる、っていうかその点についての説明は要らん。だが、あいつが俺に恋をするためにとか言ってたのはなんでだ。意味が分からん」
生徒会については言及するまでも無い。学園陰謀物に宇宙人連中も参戦したってだけのことだ。生徒会に関することで特に何かされた記憶はないが、もしかしたら俺の知らないところで何か利益を得ているのかも知れない。それはそれで別にかまわないんだ。自分の縄張りを荒されるのは勘弁願いたいが、その端っこで利益を掠め取られる程度のことを騒ぎ立てるつもりはない。それにあいつは賢い女だ。自分からぼろを出すことも無いだろう。
だが、恋をするためにってのはその件とは明らかに別だよな。何が理由か知らないが、そんなことのためだけに生徒会に潜入するとは思い難い。ってことは、この二つは別件ってことになる。
「……」
「お前の分かる限りで良い、事情を説明しろ」
長門有希が喜緑江美里の同類だとして、その事情の全てを知っているとは思わん。人造人間がどんな仕組みで動いているか知らないが、何も完全に統一された思考の上に動いているってわけでも無いだろう。俺の持ってる情報はあまり多くないが、それでも長門有希と喜緑江美里は全然違う人間だと言い切れる。二人の性格や行動パターンに似通ったところがさっぱり見いだせないからだ。俺以外の人間が俺と同じ立場に立ったとしてもそう思うだろう。古泉も多分そうだな。それぞれの立場って面を別にしても、長門有希と喜緑江美里は全く似ていなかった。
「……喜緑江美里は、あなたに恋愛感情を抱いている」
運ばれてきた紅茶が冷めきるほどの時間が過ぎた後、長門有希はようやく口を開いた。だが、そこから滑り出て来たのは説明にしては随分とお粗末なものだった。恋愛感情を、ってそんなのは分かりきったようなことじゃねえか。重要なのは、何故そうなっているかって理由の方なんだよ。
「喜緑江美里が『恋をするように』という命令に従っているのは本当」
そんな命令を考えた時点でこいつらの親玉は相当アホだとしか言いようがないが、今はそいつについての文句は棚上げにしておいてやる。まともに考えるだけバカバカしいからだ。
「なんでそれが俺なんだ」
「……対象は特定の生徒数人を除いた北高の男子生徒の中から一人、ということになっていた。彼女はその中で最も適切だと考えられる人物を選んだ。それがあなた」
適当に言葉を並べれば良いってもんじゃねえぞ。適切と言われても俺にはその基準がさっぱりだし、長門有希の言葉の中にヒントになりそうなものは全く無かった。喜緑江美里の言動に関してもだ。何故俺なのか、その一点が謎のままじゃなんの意味も無い。
「特定の人物って誰だ」
「過去に彼女が関わった事のある人物が一名と、SOS団に所属する男子生徒二名」
古泉ともう一人の涼宮ハルヒの手下は良いとして、残り一名ってのはなんだ。一応説明しろ。
「……」
長門有希が沈黙を保ったまま視線を横に持ち上げた。古泉が苦笑している。……なんらかのアイコンタクトのようなものだと思うんだが、俺にはその意味が分からなかった。別に分からなくてもかまわないというか、分からない方が良さそうな気もするんだが、視線だけで宇宙人娘の意思を読み取れる男を前にして、俺は思わず言葉に詰まってしまった。
前々からおかしな奴だと思っていたが、ついに宇宙人と目と目でコンタクトする方法を身に付けたのか。
「喜緑さんが以前涼宮さんに、カレシと別れたというようなことを話していたのは覚えていますか?」
……ああ、そんなことも有ったか。今の今まで綺麗さっぱり忘れていたが。それじゃあいつには過去に付き合っていた奴がいたのか?
「実際に付き合っていたわけではありませんよ。喜緑さんが涼宮さんの前に登場する時に、そういう設定を使ったというだけのことです」
そうか。じゃあ、そいつの件は無関係だな。だが、その三人が除外されるのはいいとして、その他の男子生徒の中から俺が選ばれる理由はなんだ? 悪いが俺は自分が宇宙人に選ばれるような特別な人間だなんて思って無いぜ。生徒会長って立場も有るし『機関』なんて組織に関わっているのも確かだが、逆に言えばそれだけだ。こういう時は突出した特徴のある奴が選ばれるか、その逆に平々凡々な奴ってのが相場なんじゃないのか。
「さあ、僕には何も分かりませんね。……長門さんの方はどうですか?」
「この命令に対する選択基準は喜緑江美里自身の判断に委ねられている。それはわたしには無関係なこと」
「つまり、分からない、ということですね」
「……そう」
そうって……それで終わりかよ。
古泉の方にも視線を向けて見たが、奴は真意の読み辛い曖昧な笑みを浮かべているだけだった。これ以上のフォローも説明も無しってことかよ。
「くそ、もう出るぞ」
対照的なはずなのに妙に釣り合いのとれている凸凹コンビの顔を見て分かるのは、これ以上話しても無駄だってことだけだった。こいつら、何の役にも立ってねえ。
「待って」
帰ろうと思って立ち上がったところ、長門有希が俺を呼び止めた。
「ここはあなたが支払うべき」
……。
「ああ、こういう時は先輩が払うものですよね」
…………こ、こいつら。
そんなところで頷き合うんじゃねえ!
「それとも、生徒会長が後輩に奢らせるんですか?」
「……うっ」
「長門さんはわざわざあなたのために来てくださったんですよ、払っていかれるのが道理だと思いますが」
くそっ……払ってやるよ。
「待って」
伝票を取り上げた俺の背中に、もう一度声がかかる。
今度はなんだ。まさかまだ注文するものが有るとか言うんじゃないだろうな。紅茶とチーズケーキの分以上は払ってやらねえぞ。
「喜緑江美里があなたを選んだことには、ちゃんと意味がある。……それを、忘れないで」
……勝手に言ってろ。
意味が、と言われたところでそれに関する説明が伴って無ければそれこそなんの意味も無い。長門有希は幾つかの説明を口にしていたが、結局のところそれらは俺の不安や疑問を解消する役目を果たしてくれなかった。あの女が綺麗さっぱり全ての問題を解決してくれるなどとは思って無かったが、気力を減退させるだけの結果に終わるとは思わなかった。勘弁してくれ。
第三者的立場で居れば古泉のように笑っていられるのかも知れないが、忌々しいことに現在俺は第三者などというお目出度い立場では居られなくなってしまっている。自分から片足を突っ込んだことは否定しないが、こんな状況は完全な想定外だ。慣れだけでどうにかなるほど世の中甘くない。
「喜緑くん、この書類を書道部まで届けてくれ」
「はい、分かりました」
好き好きオーラを発揮されていることは確かだが、四六時中付きまとわれてないだけマシと言うべきなんだろうか。用件を与えれば曲解無くそれをこなしてくれるし、妙な詮索をされるようなこともあまり無い。……だからと言って、楽になったわけじゃないんだが。
息が詰まるのが嫌で適当な用事を押し付けて生徒会室から追い出してみたものの、これで気が晴れるというほど単純に出来ているわけでもないので、口の端から勝手に溜め息が零れていく。言いたいことは山ほどあるんだが、どうも寸前で綺麗に交わされている気がする。言い難い空気を作られてると言った方が正しいだろうか。主張だけは一人前なのにこっちの話しを聞きもしないなんて、フェアじゃねえだろ。……宇宙人相手に公平性を唱えること自体バカバカしい気もするんだが、持続的な不公平感ってのは確実に精神状態をすり減らしていく。
「全く……ん?」
二度目の溜め息が漏れそうになったところで、俺は床の上にとある物を発見した。生徒手帳だ。
「あいつのか……」
手に取って開いてみたらすぐに持ち主が分かった。女子らしい少し丸っこい字で名前が記入されているし、写真も貼って有った。なんでこんなものがここに有るんだ。生徒手帳を持ち歩いていること自体は別に珍しくもなんともないが、それを取り出したり落としたり、なんて状況はあまり無いだろう。現に俺だって生徒手帳なんて殆ど見ない。
なんであいつの生徒手帳がこんなところに? なんて思いながらパラパラと捲ってしまったのは、好奇心ゆえにってところか。他人のプライバシー云々なんてことを考え無かったのは、相手が喜緑江美里だからかも知れない。まあ、理由なんぞどうでもいい。それよりも大事なのは、その生徒手帳に一枚の写真が挟まっていたってことの方だろう。女子生徒が大切に持ち歩く手帳の中に挟まっている写真が誰の物かなんて、一々語る必要もないな。好きなアイドルか好きな男、それか憧れの先輩ってところだ。喜緑江美里がアイドルに熱中するところは想像出来ず、俺達は三年生なので既に校内に先輩など居ない。ということは、答えは必然的に絞られるわけだ。
どこで撮ったものか知らないが、生徒手帳の最後のところに俺の写真が挟まっていた。服装と髪型で最近の物じゃないことが分かる。夏服、おまけに私服姿だ。眼鏡をかけてないし今みたいに演技過剰ってこともない。面倒だと思いつつも学校に通っていた俺の姿が映っている。
なんであいつがこんなものを持っているんだ? なんて思ったのはほんの一瞬だった。相手は宇宙人だ。何時の写真を持っていたとしてもなんの不思議も無い。どこまでのことが出来るのか知らんが、過去の情報を引っ張り出して写真に起こすくらい赤子の手を捻るより簡単なんじゃないか。なんでわざわざ、という疑問はあるが……まあ、別に良いか。写真一枚で問題が発生するわけでもない。
しかし、俺がこの写真を見たことにあいつが気づいたら……何かまた面倒なことになりそうだな。顔を赤くしてきゃいきゃい言われるというのも疲れそうだし、プライバシーがどうのとかいう説教を聞くのも嫌だ。
俺は生徒手帳をそっと閉じ、何食わぬ顔で元の場所に戻した。もしかしたら俺が読んだことに気づくかも知れないが、その時はその時だ。
――その数分後、ドアの方から控えめなノックが聞こえてきた。
「会長、ただ今戻りました」
「入りたまえ」
この妙に格式ばった挨拶も肩が凝って仕方がないが、完全に崩すわけにはいかない。入室を促すと、喜緑江美里はそっとドアを開けて入ってきた。ドアのところから俺の居る所に歩いて来る間に、何時もながらの笑顔が一瞬だけ強張った。
「あっ……」
屈み込んだ喜緑江美里が落ちていた生徒手帳をパッと取り上げ、中身を確認する。大袈裟に振る舞うかも知れないと思っていたんだが、その時点では完全な無言だった。パラパラと中を確認する指の動きが若干固い。
「どうしたんだ?」
「あ、いえ、何でも有りません」
一応のお約束として訊ねてみたが、そいつはただ首を横に振るだけだった。俺が読んだことに気づいたのかも知れない。恥ずかしい、とでも思ったんだろうか。……宇宙人の癖に、そういうところは妙に人間くさいんだな。
「あ、あの……本当に、なんでも無いんです」
顔を赤くしたまま、喜緑江美里はもう一度首を振った。なんだかわざとらしい動作だが、その理由については追求しないでおいてやろう。下手に突っついて被害が拡大する、なんてのは俺の本意じゃない。
「そうか」
「はい……、あ、会長、実はですね」
何時もの状態を取り戻したのか、その顔は既に笑顔と呼べるような表情に戻ってしまっている。あまりの変わり身の早さに俺が面くらったのはほんの一瞬だけで、そこから先の会話内容について語る必要もないだろう。
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