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正しい彼女の作り方(仮) 第三章



 飛び散ったクレープを片づける気にもなれず、俺はそのままその場所を後にした。宙を舞ったこと自体はほんの一瞬の出来事だったが、まだ平衡感覚に支障が残っている気がする。俺の目の前で、喜緑江美里はまるで人間では無いような動きを……いや、元々人間じゃないことは知っていたが、動きを目にしたのはあれが初めてだ。記憶や記録の改竄を最初に目にした時も少なからず驚いたが、物理的な衝撃はそれを上回るものだった。大したことじゃない、と思いたいところだが、頭の隅にこびり付いたような状態でそんなことをしても虚しいだけだ。意地を張るのも良いが、人間、認めてしまった方が楽になれる時もある。
 目の奥で喜緑江美里の寂しげな顔がちらついている。なんであんな顔をしたんだ? 俺の前で宇宙人らしいところを見せてしまったからか? だが、そんなのは最初からじゃないか。分かりきったことを一々気にするなんて、らしく……無い、かどうかは良く分からんな。あいつの考えていることは何時も謎めいている。謎めいた笑顔の奥にあるのは人を超越した者の微笑かと思っていたんだが、本当は違ったんだろうか。
「おや、おひとりですか」
 一人で適当にブラブラと街を歩いていたら、見知った奴に話しかけられた。無視してもなんの問題も無い気もしたが、特に焦る用事も無かったので振り返ってやった。休日だというのに非の打ちどころなんて無さそうな恰好の古泉一樹がそこに立っていた。学校でならともかく、偶然出会った時でさえこれだと見ている方がげんなりしそうだ。完璧野郎も大変だな。
「……ああ。お前もか?」
 こんな居るだけで疲れるような奴と休日もつるむ必要性は全く無いんだが、何か話があると言うのなら聞いてやれないこともない。
「いえ、僕は違いますよ」
 誰かと待ち合わせでもしているのか、それとも待ち合わせ場所にでも向かう途中なのかと思ったが、答えは意外な場所から現れた。今までなんの気配も無かった古泉の背後から小柄な影が現れたのだ。私服姿なので一瞬誰かと思ったが、長門有希だ。
 女連れかよ、という俺の無言の主張に対して、古泉は「涼宮さんの指示で一緒に居るだけですよ」と笑顔で答えやがった。それが真実かどうかなんて俺に分かるわけがない。別にどっちでも良いと言えばどっちでも良いんだが、こっちが一人なのに女連れの知り合いに遭遇するってのはなんとも言い難いものがある。そんなことを一々気にするのはどうかとも思うし一人の方が気楽だと思う時も多いが、向こうが何気ない顔をしていると妙に苛立ちを覚えてしまう。その余裕綽々の態度がムカつくってわけだ。ていうか、女連れならわざわざ俺に話しかけんな。ほっておいてくれ。
「先にあなたの姿を見つけたのは長門さんなんですよ。長門さんがあなたの方へ向かって行ってしまったもので……長門さんは何も言ってくれなかったんですが、そんなわけで僕からあなたに声をかけてみたんです」
 なんだそりゃ。見つけたなら見つけた方が声をかければいいだろう。長門有希に声をかけられるような心当たりは全く無いが、理由も分かってないような奴に声をかけられるよりはマシだぜ。当の長門有希はと言えば、ただじっと俺達の会話とも呼べない会話を聞いているだけだ。こっちを見ることさえしない、と思っていたら、ぱっと視線を持ち上げられた。その顔に浮かぶのは蝋人形レベルの無表情なので、何を考えているのかさっぱり分からない。せめて口を開け。表情で伝えるスキルが欠落しているなら喋ってくれ。
「……何か用か?」
「用事は無い」
 じゃあ、なんだ。
「……」
 日本人にしては色の薄い瞳が俺の顔を見上げている。表情が無いので意図は読めないが、釣り眼気味の顔立ちを見ていると、睨んでいるようにも見えた。別に睨まれるような理由は無いと思うんだが……居心地の悪さと気味の悪さを感じていると、長門有希が俺の方に向かって一歩踏み出してきた。
「……なんだよ」
「なんでも無い」
「だったら、俺に近づくな」
 半歩だけ後ずさって睨み返してやったが、長門有希の表情に一切の変化は見られない。気持ち悪い奴だ。そういや、こいつも喜緑江美里の同類だったな。宇宙人、いや、宇宙生命体製の人型――機械、みたいなものか。
「用が無いなら俺はいくぞ」
 ……気味が悪い、気持ち悪い。人間と同じ姿をしているが、こいつらは人間じゃない。おかしな能力を持った人外の存在だ。
 俺は長門有希から視線を逸らすと、早足でその場から立ち去った。古泉が何か言っていた気がするが、知ったことじゃない。


 ――それから数日ほど経ったが、あれからというもの、喜緑江美里が生徒会室に現れなくなった。生徒会関係の予定が無い時期とはいえ、あいつが何日も来ないなんて珍しい。何時もなら用事が無くてもやってきて仕事を見つけては片付けていくような奴だったのに。……学校内の事情の把握のためか、あるいは俺の点数を稼ぐためだったんだろうか。どっちでも良いと言えばどっちでも良いが、突然現れなくなったのはどうしてだ。廊下ですれ違うようなことがあるから学校には来ているんだろうが、挨拶以上の会話をしていないので様子も伺えない。何となく近寄り難いせいも有って、何も聞けないままもう木曜日の放課後だ。
 元々生徒会での予定が無い日になんで俺が一人で生徒会室に居たのかと言えば、妙にタバコが吸いたい気分だったからだ。校内や学外で場所を探すよりも、あまり人が来ないこの場所の方が都合が良いんだ。たまに現れた古泉が渋い顔をしているが、バレなきゃなんの問題も無いだろうし、どうせあいつならちょっとした噂や目撃情報くらい握り潰せるに決まっている。
「……タバコ臭いですね」
 何の脈絡も前振りも無く「失礼します」の一言だけで生徒会室に入ってきた古泉は、俺の返事を待つよりも先に入ってきた挙句、言っても言わなくても大差ないような一言を口にした。俺はまだタバコを取り出したところだ、火をつけてすらいない。
「消臭剤でも捲いときゃいいだろ」
 その程度の指摘で苛立ちを覚えるような時期はとっくに通り過ぎてしまった。もしかしたら既に消臭剤くらい捲かれているのかも知れないが、そんなことはどうだっていい。タバコに火を点けるのを止めようとしない俺の前で古泉が長い溜息を吐いたが、俺はそれを無視した。古泉が入ってきた後に教師や他の生徒が続いて入ってくるなんて状況は有り得ないからだ。せいぜい、長門有希かもう一人の下っ端男子とやらが続いて来るかどうかってところだ。
 それ以外にこんな状況下でなんの脈絡も無く現れる可能性があるのは、それこそ喜緑江美里くらいだが……いや、あの女のことはどうでも良いんだ。
 で、今日は一体なんの用だ。
「会長、喜緑さんと何かあったんですか?」
「……なんであの女の名前が出るんだ」
 古泉の方からその名前を口にするとはね。なんとかしろと言ったのは俺の方だが、これは予想外と言わざるを得なかった。その後古泉があの女の所在や振舞いを気にかけていた様子は無かったからだ。なんでこいつが喜緑江美里の話を持って来るんだよ。
「僕が彼女のことを口にしてはいけない理由は無いでしょう」
「俺があいつとのことをお前に説明する義理も無いな」
 起こった出来事だけを知りたいのなら俺のところに来る必要も無いだろう。知りたきゃ勝手に調べれば良い。こいつがわざわざ俺に訊きにきた理由はなんだ? 俺の反応が見たかったのか?
 美味いとは言い難いタバコを吸いつつ、俺は古泉の反応を待った。
「あなたはそう思うかも知れませんが、現実はそうでは無いんですよ。均衡の乱れに繋がるようなことがあると僕達も困るんです」
「だったらそっちでなんとかすりゃ良いだろ、俺の知ったことじゃないな」
 都合の良い時だけ俺を内野のように扱うんじゃない。俺は元々外側の存在なんだ。ここで学園陰謀物に加担していることは否定しないが、最初に提示された以上の条件に積極的に従うような理由も無い。やりたいことが有るなら勝手にやれば良い。あの女のことで俺を巻き込もうとするんじゃない。
「……それが出来たら苦労しないんですけどね」
 そういうわけにもいかないんです、と付け加えて、古泉は大きな溜め息を吐き出した。言葉を探しているというか、表情で察してくださいとでも言いたげな様子に見えたが、俺はそれを無視した。俺に古泉の抱えている事情とやらを汲み取ってやる義務は無い。遠回しな表現は嫌いじゃないが、それが有効かどうかも推し量れないような奴と率先して意思疎通を図る必要も無いだろう。
 古泉は基本的に器用と言うか小賢しく立ち回る方だが、時々妙なアンバランスさを覗かせる。俺が古泉のことをただのバカだと思うのはそういう時だ。バカの相手をしても良いと思える時も有るが、今はそういう気分じゃないんだ。
 俺はタバコを携帯灰皿に押し付けてポケットの中に戻すと、突っ立ったままの古泉の脇をすり抜けた。
「どこへ行かれるんですか」
「……場所を変える。おまえの傍だとタバコが不味いんだよ」
 ひらりと手を振って、俺はその場を後にした。


 古泉が後を追ってくるかとも思ったが、その気配は無かった。バカはバカなりに考えて、押してみるより引いてみることを選んだのかも知れない。ま、古泉がどう考えてようと大した問題じゃない。あいつが俺と喜緑江美里の関係に口出しして来たからにはなんらかの理由が有るはずだが、その点についてあれこれ考えるってのも無しだ。どうせ裏で結んでるくだらない協定の維持とかに関することなんだろう。超能力者や宇宙人の思惑なんぞ知ったことじゃないが、明日この学校がいきなり戦場になりますという状況でも無い限り俺が慌てる必要もないだろうし、俺が慌てたところでどうにもならん。
 宇宙人や超能力者なんていう肩書を持った連中相手にドンパチやれるような能力が有るわけじゃないんだ。そんな状況になったら避難するだけでいっぱいいっぱい……というか、そんな状況になって欲しくないね。薄暗いやりとりは裏側にだけあれば良い。見た目は平凡な高校で良いんじゃないか。だからこそ涼宮ハルヒみたいな女が目立てるわけだし、俺みたいなあからさまな生徒会長が居ても許される。
 考えても仕方の無いようなことに適当な結論を与え、ぶらぶらと校舎内を歩いていたが、一人でタバコを吸うのに都合のいい場所は中々見つからなかった。放課後とはいえ人目が全く無く他人の侵入を遮断できるような場所ってのはそう多くないんだ。
――階段を上って屋上前の踊り場まで来てみたところ、どうやらここなら人が来なさそうだってことが分かった。なるほど、こういう場所は穴場かも知れん。タバコを咥えてライターを取り出す。カチカチッと数度鳴らしてみたが、上手く火がつかない。なんでだ? オイルはまだ充分残っているってのに。
「火気厳禁」
 不意に、背後から声が聞こえた。平易な声過ぎて一瞬誰の声か思い出せなかったが、こんな風になんの感情も交えずに発声出来るような奴はそう多くない。記憶の検索は振り返るよりも前に終了した。振り返ると、相変わらずの表情を浮かべた長門有希がその場に立っていた。
 そういや、何度か話したことはあるが、向こうから話しかけてきたのはこれが始めてだな。
「……またお前か」
 また、というほど繰り返し出会っているわけでも無いが、回数以上に会っている気がするのはその印象が強すぎるせいだろう。ぱっと見た感じだけだとおっとりした文学少女のように見えるが、こいつの瞳には苛烈なほどの強い意志が宿っている。分かる奴には分かるって程度の物だが、幸か不幸か俺はそういうのが分かってしまう側の人間だった。その瞳がじっとこちらを見据えている。瞬時に後ずさったり目を逸らしたくなるほどの相手じゃないが、やり辛いことは確かだ。
 なんで現れた、などということを口にするつもりはない。古泉はともかく、こいつが俺の前に現れる理由なんて一つしかないだろう。宇宙人の作ったお人形さん同士がどんな関係か知らないが、仲間意識のようなものがあるのかも知れないし、なんらかの思惑があるのかも知れない。詳細が気になるところだが、俺は長門有希の発言を待った。何せ向こうから現れたんだ、急かす必要は無いだろう。
「あなたに伝えたいことが有る。……喜緑江美里のこと」
 長門有希が一歩踏み出し、階段を上って来る。最低限の動きだけの動作の中に感じる俊敏さを目にして、思わず無意識の内に一歩だけ後ろに下がってしまった。やれやれ、俺は人形相手に何やっているんだ。
「なんのことだ」
「喜緑江美里はあなたに隠していることがある」
「誰だって隠し事の一つや二つあるだろ。別に俺はそれが知りたいとは思わないぜ」
 人間、いや、喜緑江美里は人間じゃないが、別にあいつが俺に隠しているようなことが有ったって不思議じゃないだろう。秘匿することにどんな意図が有るか知らないが、実害を感じてない以上追及する気も無い。そもそも、隠し事を追求したくなるような仲でも無いんだ。
「それはあなたに関係すること。……関係するが故に、あなたに隠さなければならなかったこと」
「……何言っているんだ?」
 あいつが、俺に関することを隠している? 一体なんのことだ。あいつにとっては俺の前で隠し事をするくらい朝飯前だろうが、あいつが俺のこと、俺に関係することを――なんだ、この、妙に引っかかる感じは。丁寧に包まれている手紙の封が実は一度開封済みであることに気づいた時のような……奇妙な感覚。
「隠し続けるのも明かすのも、彼女の手に委ねられていた。彼女は隠し続けることを選び、そのためあなたは何も知らないままでいる」
「……なんの話だ」
 心当たりの無いことを平坦な口調で語られ続けられるってのは、結構気味が悪いものだった。切々と訴えられたならまだ違ったのかも知れないが、長門有希の表情や口調にはなんの変化も無いんだ。意図することが分からない状態じゃその奥に潜んでいる何かを読むことさえ出来ない。さっきの古泉とは真逆だが、性質の悪さはどっちもどっちだ。お前ら、表情と言葉を揃えるくらいの努力を見せろ。
「喜緑江美里は危機的な状況を引き起こすことが想定される情報の奪取、隠匿、分解、独立などが行える中で、類推される情報からの接触により該当する情報が露見することを恐れ体系的な情報全てを奪取することにした。……彼女は、それをあなたに伝えていない」
 ……意味がさっぱり分からん。危機的な状況って、一体なんのことだ。悪いが俺はあいつと一緒に居て生命の危機になんて、あ、いや、この間有ったばかりだが……どうも長門有希が言っているのはそのことじゃない気がする。そう感じた理由は分からん。単なる勘だ。
「……」
 なんの感情も写さない。いや、そこにあることは確かなものの、俺には読み取れない『何か』を湛えた長門有希が俺の方を見据えている。恐怖を感じるほどじゃないが、無視してなんでも無い振りをするにしては強すぎる視線だ。何が言いたい。伝えたいことが有るならもっと明確な言葉を並べるべきなんじゃないか。
「なあ、」
「あなたには秘匿された事項を知る権利が有る。……ただしそれは、わたしから言えることではない」
「……は?」
「言わないというのが、わたしと彼女の約束だから」
 ぽかんと、それこそ俺は口を開けて目の前の女を見下ろしていたんだろう。約束? 一体なんのことだ。話がさっぱり見えない。喜緑江美里と長門有希が一体何の約束をしたって言うんだ。しかもそれが俺に関係あることなのかよ。
 ますます意味不明だ。なんで喜緑江美里が俺に関することでこいつを約束をしなきゃならんのだ。
「わたしに言えるのはここまで。あなたがそれ以上のことを知りたいと思うならば、あなたから動くべき」
 こいつは……俺に、知った方が良いって意思表示をしようとしているのか?
でも、一体何をだよ。こんな少ないヒントだけじゃ何を指示しているかなんて分かるわけもない。幾らなんでも情報が無さ過ぎだ。ここまで、と言っている以上、俺の方から訊ねたところでもなんの回答も寄越さないだろうが……問い返すための言葉を決定するよりも先に、青い炎を燃やすような瞳がすっと俺の目の前から外れていった。自分の役目は終わったと思ったのかも知れない。立ち去っていく長門有希の後姿から名残惜しさなんてものを感じることは無かった。
 そんな長門有希の姿を呆然と見送りながらも無意識にカチカチと押し続けていたのか、何時の間にかライターに火が付くようになっていた。タバコを吸おうかと思ったのはほんの一瞬だけで、俺はすぐにライターを胸ポケットの中にしまった。



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