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正しい彼女の作り方(仮) 第四章



 長門有希の言っていたことが気になるのは確かだが、あんな意味不明な発言だけじゃ何も分かるわけがない。あの女が俺に嘘を吐いているとは思えないが、それにしたって中途半端すぎる。せめてもうちょっとヒントをよこせ。
「……ん?」
 通学路である坂道の途中で、俺はふと足を止めた。視界の端に見覚えのある姿が引っ掛かったからだ。喜緑江美里がぼんやりとした足取りで坂道を上っている。どことなく元気が無さそうに見えるのは俺の気のせいだろうか。
「あ……おはようございます」
 振り返ってから挨拶までに一瞬の間があった。のんびりとした奴ならこれが普通ってことになるんだろうが、この女にしては珍しい。こいつは一見した感じだと少しぼんやりした印象があるが、実際は結構テキパキと動く方だからだ。
 とはいえ、特に気にしなければ見過ごしてしまいそうな程度だな。なんでこんな風になっているんだ? この間のことが原因なのか?
「おはよう、今日も良い天気だな」
 周囲の目があるところじゃ俺も生徒会長の仮面を被り続けないといけないし、余計なことを言うわけにもいかない。面倒だが仕方がない。
「はい、良い天気ですね」
 天気の話から入ったのは失敗だったかも知れない。これじゃ会話が続かない。元より無関係な連中の目があるところで長々と話をするつもりは無かったが、それでも多少の会話は出来たはずだ。世間話程度でも良い。何か話を……って、俺は何を話すつもりなんだ。こいつは宇宙人で異邦人、人外の存在だ。怪しい肩書が付いていても何故か少年週刊誌の話が出来る自称男子高校生なんかとは次元の違う、完全に外側の存在。
「……こうして毎日学校に通えるって、素敵なことですよね」
 日々の幸福を実感するのは構わないが、会話の展開に脈絡がなさすぎる。学校に通うことなんて当たり前のことだろう。こいつにとってはそうじゃないのかも知れないが、同意を求められても困る。俺はこいつとは違うんだ。
「わたし、この坂道を登るのが好きなんです」
「坂道なんて面倒なだけだと思うんだが」
 この点については北高に通う生徒の九割が俺の意見に賛成してくれるだろう。
「あら、そんなことないと思いますよ。楽な道ではありませんけど、その分学校に通っている実感がありますから」
 実感があるからなんだって言うんだ。
 返事の代わりに小さな溜め息を吐くと、喜緑江美里がその顔に少し苦いものを交えていた。何が言いたい。
「……」
 表情を変えない喜緑江美里が、少しずつ坂道を昇っていく。ゆっくりとした足取りだ。以前ここで会ったときはもっと軽快に昇っていた気がするんだが。
「……どうかしましたか?」
 ふと立ち止まった喜緑江美里が、斜め後ろに居る俺の方を振り返った。
「いや、なんでも無い」
 聞きたいことは色々有ったが、俺は各種の質問をぐっと飲み込んだ。場所が悪いし間も悪い。こちらも少し苦い笑みを形作ってみたが、果たして意図した通りに振る舞えたんだろうか。喜緑江美里が俺の方を向いたままほんの少し頬を緩め、それから、前に向き直ってまた歩き始める。その足取りが頼りないようにも見るのは、どうしてだ。
「天気の良い日は気分が良いものですね。……会長もそう思うでしょう?」
 また天気の話か。
「ああ」
 天気だけで気分が左右されるほど単純で居るつもりは無いが、雨が降っているよりは晴れている方が良いんじゃないか。たまたま見た朝のニュースでの降水確率が結構高かったのでカバンの中には折り畳み傘を入れてきたが、この天気じゃその傘が必要になることも無さそうだ。
 晴れやかとは言い難い雰囲気をまとった女が、太陽の下をゆっくりと歩いていく。
 俺はその姿にかけるべき言葉さえ見つけられないまま、遅々とした歩みを続ける女の脇を歩いていた。


 喜緑江美里が生徒会室にやって来ないのにもそろそろ慣れてきたが、居なきゃ居ないでなんとかなる。元々居なかった奴なんだ、それが当たり前だろう。……と思っていただが、どうやらその通りにならないこともあるらしい。
 大抵のことなら役員が一人くらい居なくてもどうにかなるんだ。だが、世の中には替えの聞かない役割ってのも有るし、本人の立場以上にどうにもならない物もある。……いや、そんな大層なことじゃないんだが。
「くそ、どこだよ……」
 あいつがここに足繁く通っていた頃に目を通していたはずの書類が、生徒会室のどこにも無かったのだ。部屋に有る棚や引き出しの中は全部見たし、一応教室に戻って自分の私物も確認した。何で見つからねえんだよ……。書類の提出期限は月曜の夕方だ。それまでには残っていた部分を適当にまとめないといけないんだが、職員から渡された書類が無いとそれもままならない。くそ、どこに消えたんだ。
 まさか……あいつが持って行ったままなのか? いや、あいつが家にまで仕事を持ち帰ることは殆ど無かったはずだが……だが、他に可能性が考えられない。部屋中を二回見ても無かったんだ、あいつが持っていると考えるしかないだろう。内容が内容だったので他の連中には見せてないし、あいつほど熱心に生徒会の業務に取り組んでいる役員は居ない。俺だってそこそこやっているはずだが、量的な意味では確実にあいつの方が多い。見返りを期待してのことかも知れないが、やりすぎなんじゃないかと思えるくらいだ。
 仕方ねえ、あいつを探しに行くか。部活に所属して無いような奴が放課後の教室に残っているとは限らないが、先ずは校内を回ってみるところからだな。名簿が有るので家の番号は知っているが、電話はあまりかけたくない。電話でまともに会話出来る気がしないんだ。正面からなら大丈夫ってわけでも無いんだが。
 先ずはここからだろうと思って喜緑江美里の所属する教室に行ってみたが、空だった。誰も居ないのかよ。これじゃ行き先を訊ねることも出来ない。そのままあてもなく歩いていたわけだが、今日は校内にあまり人の姿を見かけなかった。そういう曜日なんだろうか。
「ん?」
 ――ふと、気配を感じた。気配って言い方もなんだが、妙に背筋に冷たい物が上って来るような感覚には身に覚えがある。どこで覚えたのか定かじゃないが、なんだろう、この、奇妙な感覚は。
「……あ、あいつか」
 ようやく見つけた。階段の途中の踊り場に喜緑江美里の姿が有った。妙に思いつめた表情で一点を見つめている。視線を追ってみると、その先に見知った姿が立っていた。誰、と語る必要さえ無い気がするのは俺が知っている喜緑江美里の交友関係がごく狭い範囲に限られるからだ。喜緑江美里の視線の先に長門有希が立っていた。
 冷たいというか、凛とした空気を漂わせる何かは、主に長門有希の方から発せられているようだった。何があったか知らないが、あまり穏やかな雰囲気じゃないな。
「あの、待ってください……言わないって約束だったじゃないですか」
 実に珍しいことに、喜緑江美里の顔には焦りの色が浮かび上がっていた。珍しいというか、完全な予想外だ。こいつにも焦るようなことがあるってのが驚きだ。優雅と呼んでも差し支えなさそうな普段の様子の片鱗も無い。何かに追われたような姿は、親に叱られる前の子供のようにも見える。
「先に約束を破ったのはあなた」
 ……なんの話だ? 約束? 昨日長門有希が俺の前で話したことと関係あるのか?
「それは……」
「あなたが先に約束を破った以上、わたしにも約束を破る権利がある」
「そんなの屁理屈です!」
「それはあなたの意見。わたしにはあなたと違う意見があり、あなたと違う考えに基づいて行動することが出来る」
 話しの内容はさっぱり分からなかったが、一つだけ分かったことがある。こいつらの話し合いが完全な平行線状態にあるってことだ。しかし、約束ってのは一体なんの話だ。
 不意に、長門有希が顔をあげた。空気が揺らがないまま視線だけが移動する。奇妙な光景と言えば奇妙な光景だが、生憎長門有希が変人であることは疑いようのない事実だ。今更この程度のことで驚いたりしない。視線を合わせてきた下級生に対して、俺はただ不敵な笑みを浮かべて見せた。
「お前ら、何してるんだ」
 長門有希が何も言わなかったので、俺の方から問いかけてみた。答えが返ってくるとは限らないわけだが、一応話しかけてみるべきなんだろう。自分に関係することだって可能性もある。
 下に向かって軽く足を踏み出すだけでピリッとした空気が伝わってくる。冬場にドアノブに触れて静電気が流れ込んできたときのようだ。
「会長っ……」
 ぱっと喜緑江美里が顔をあげる。焦りの色が減色している様子は無いが、俺が現れたからなのか、多少の揺らぎがあった。どこがどう変化したかは分からないが、どうやら俺が状況を変える要素になると判断されたようだ。
「一緒に来てください」
 あっという間にその顔が近付いてきたかと思ったら、ぐっと腕を掴まれた。……は? な、なんなんだよ一体。意味分かんねえって。
「うわっ」
 有無を言わさず腕を引っ張られ、そのまま引きずられてしまう。怪力というわけじゃなかったが、勢いがついていたので振り払えなかった。お、お前なあ……。長門有希の動向も気になったが、振り返っている余裕さえ無さそうだ。っていうかちょっとは俺の方に気を使え、勢い任せに引っ張るんじゃない。
「な、お前、なんで」
「良いからわたしについて来てくださいっ」
 ……答える気無しかよ。
 呆れて物も言えなくなりそうだが、呆れる以前の問題かもしれない。そもそも、俺にはこの状況がさっぱり理解出来ないんだ。説明の時間は何時始まるんだ。言葉が続かなかったのは我慢していたからじゃなく走っているせいで喋り辛かったからだ。喜緑江美里が俺を連れたまま資料室に逃げ込んで、そこで俺はようやく解放された。バタンと、背後で扉が閉まる。
 薄暗い資料室だ。存在自体は知っていたが足を踏み入れたことは無い。目に入った本の背表紙には随分と古い年度が刻まれているし、埃も積もっているようだった。
「……一体なんなんだ」
 資料室の中をざっと見渡したあと、俺は喜緑江美里の顔を見据えた。ほっと一息を吐いていたその姿が、途端にピシリと固まる。
「あ……、すみません。わたしったら、つい……」
「謝るのは後で良い、事情を説明してくれ」
 話しかけた次の瞬間にいきなり腕をひっつかまれたんだぞ。わけがわからん。長門有希との間に何があったか知らないが、なんの説明も無しにひとを巻き込むんじゃねえよ。
「すみません、その……会長には聞かれたくなかったんです。それに、あの……」
「あいつと何があったんだ」
「……」
 無回答かよ。
 まあ良い。いや全然良くないが、とりあえず問い詰めるのは後回しにしてやる。別にこいつと長門有希の間に何があろうと、そんなのは俺の知ったことじゃないんだ。血で血を洗う戦いが起きているならともかく、別に命のやりとりをしていたわけじゃないだろう。校内に物騒なことが持ち込まれる可能性はゼロじゃないだろうが、こいつらの仲がそこまで険悪だとも思えない。
「すみません……、その、わたし……」
「質問を変えるぞ」
 どうせ訊きたいことは色々有るんだ。今朝は訊く気になれなかったが、気が変わったし状況も変わった。理由を知らされないまま不可解な言動に振り回され続けるのにも限度があるんだ。
「え……」
「お前が俺に隠してることってのは一体なんだ」
 スパッと切りださないと、どうせのらくらと逃げられるに決まっている。幸いここには逃げ場も無いし、余計な奴等に聞かれる可能性も無い。
「え、っと、それは……」
 言葉に詰まった喜緑江美里が下を向いてしまった。やれやれ、これじゃまるで俺の方が悪者みたいだ。別に悪気が有ってこんな聞き方をしているんじゃないんだぜ? 俺が怒るだけの要因は、こいつに……あるかどうか微妙なところだが、長門有希の台詞が正しければ、あるってことになるんだろう。隠し事? 約束? 俺には何の心当たりも無いが、長門有希が嘘を吐いているとも思えなかった。こいつよりあの下級生を信じているってわけじゃない。長門有希の方が嘘を吐けなさそうに見えるってだけの話だ。
「言いたくないなら言わなくても良いが、それならそれで俺を納得させられるだけのことを言ってみろ」
 どうせ無理に聞き出せるようない相手でも無いんだ。本気で誤魔化すつもりなら記憶の操作だって出来るだろうし、脅して俺を屈服させることだって出来るはずだ。そうしない、それ以外の『人間らしい』解決方法を試みたいっていうのなら、相応のことをするべきだ。
「……すみません。少し、時間をください」
「勝手にしろ」
 多少なら待ってやれんことも無い。だが、こんなところに長居する必要は無いだろう。本や資料に埋もれた資料室は埃っぽくて決して居心地のいい場所じゃなかった。話すにしても待つにしても、先ずは場所を変えたい。
 ドアの取っ手を握って回そうとしてみたが、全然動かない。鍵でもかかっているのか? いや、そんなわけない。俺達が来る前は鍵が開いていたし、その後外から鍵が閉められたような気配も無かった。
「……なんだこりゃ」
 ガチャガチャと何度か動かしてみたが、どうやっても開きそうになかった。鍵がかかっているとしか思えん。
「あの……」
 背後からか細い声が聞こえてきた。まるで幽霊みたいだ。元気が無いのは仕方ないにしても、辛気臭すぎるのはやめてくれ。
「どうした?」
「あ、いえ……その扉、もしかしたら、外からしか開けられないようになっているんじゃないでしょうか……」
「は?」
「鍵穴とか、無いですよね」
「……見当たらないな」
 そう言えば、それらしいものが無い。ってことは、これは本当に外からしか開けられない扉なのか? そういう扉が有ることは知っていたが、なんでそんな扉が学校の資料室に設置されているんだよ。
「おい、お前の力で開くことは出来ないのか?」
「……あ、あの」
「出来るかどうか聞いてるんだ。答えろ」
「す、すみません……無理、です」
「……そういうことは出来ないのか」
 他人の記憶や記録を変えられるんだ。このくらいのことは朝飯前じゃないのか。
「違います……。その、今のわたしには無理なんです」
「……どういう意味だ?」
 一瞬、言っていることが理解出来なかった。今の、とはどういうことだ。じゃあそれは今じゃなければ出来るってことか? 過去か未来か。時間に関わることを追求するつもりは無いが、今って前置きが付く理由を説明してくれ。
「わたし、今……幾つかの能力を制限されているんです。……すみません」
 幽鬼のような少女が、大きく首を縦に振った。
 能力? 制限? ……何でそんなことになっている? 俺の知らぬ事情だろうか。それとも……心当たりを探してみるが、大したものが有るわけじゃない。俺がこいつについて知っていることと言えば、普段から繰り返していたバカバカしいやりとりと、長門有希の反応、行動くらいだろう。長門有希はなんて言っていた。隠し事や約束がどうのって言っていたな。ということは、それに関係することなのか?
「あ、あの……」
「お前、あいつに約束を破ったとか言われていたな」
「……はい」
「それと関係有るのか?」
「無いわけでは無い、です。ですが、その……」
「……ぐだぐだ言うな。説明する個所は自分で整理しろ」
「すみません……本当に、すみません……」
 ったく、何度も謝れば良いってもんじゃねえだろ。
謝意が無いわけでは無さそうだが、気持ちがあっても行動の伴わない謝罪なんて虚しいだけだ。



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