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スウィート・ドリーマー 第四章



 一晩寝て綺麗さっぱりすっきり爽快、という風になれば良かったんだろうが、翌朝の俺は前日の鬱々とした気持ちを少なからず引きずったまま目を覚ました。まともに話を聞かず電話を切った自分に対して、子供っぽいなあ、なんて風に思ったりもしたが、だからと言って自分が悪いとは思えなかった。こっちに非の無いことを注意されたんだ。そりゃあ電話を切りたくもなるさ。古泉の方だって……あんな風に俺を追い詰めるというのも奴らしくない気がするんだが、あいつも気が立っているんだろうか。帰りがけまで見た目に変化は無かったし電話の向こうの声も割と平常通りな気がしたんだが、あいつはあいつで大変そうだよな。かと言って俺の方にその辺の事情を考慮して行動してやる必要性が有るわけじゃない。せめて自分のことは自分でどうにかしろ。古泉も、ハルヒも。
「くそっ……」
 今日はあの二人に会いたくない。学校に行けば古泉はともかくハルヒには会うだろうし、放課後になればあの二人と同じ部室だ。朝比奈さんという清涼剤が居るには居るが一対二では分が悪い。どうするかな……、ああ、そうか、行きたくないなら行かなきゃいいじゃないか。別に難しいことでもなんでもない。ちょっと学校をサボればいいだけだ。成績はともかく出席日数には余裕が有るんだ、一日くらいどうってこと無いさ。
 俺は制服に着替えてから適当な私服をスポーツバッグに詰め込むと、何事も無い振りをして家を出た。


 自転車を駅の駐輪場に留め、駅の中のトイレで私服に着替える。箇条書きにするとなんてこともない動作だが、人間始めてやることってのはなかなか緊張するもんだ。朝の人の多い時間帯に結構な時間トイレを占領することとか、出来るだけ見知った顔に見られないようにすることとか、こっそり人の流れに逆らうように電車に乗り込むこととか。悪いことをしているようなしていないような……なんとなく、初めてのお使い、というのに似ているような気もする。いや、お使いは見られて困るようなもんじゃないしこれはお使いじゃなくサボりなんだが、この際その辺りの違いは棚上げさせていただこう。
 無断欠席がばれると面倒なんで一応学校には風邪だと連絡を入れておいた。バレてしまう可能性も有るには有るが、今日一日くらいは大丈夫だろう。そもそも教師も親もクラスメイトも、俺の行き先についての心当たりはないだろう。
 電車に乗り込んでしまえば目的の駅までの時間など高が知れている。平日に高校生が私服姿で出歩いているのはいかがなものかと思ったが、俺と同年代くらいに見える私服姿が居ないわけではない。フリーターか夜間学生、あるいは童顔な大学生などだろう。思ったより目立ってなくて一安心だ。
 ここ二週間ほどの間に何度か来た場所なので迷ったりもしない。俺はその目的地――朝倉が入院している私立病院の門を潜った。
 人が多い時間を見計らえば受付であれこれ言われることもなく入院患者の居る病棟に入っていけるってのは俺がここ数回の見舞いで学んだことの一つだ。案外ざるだなあと思うのだが、警備に厳しい病院の話など聞いたことがないのでどこもこんなものなのかもしれない。そもそも入院患者しかいない場所に好き好んで入っていく奴など居ないだろう。あからさまな不審者はつまみだされるのだろうが、見たところ患者と医者と看護師、それに見舞いらしい気取らない格好の私服姿がほとんどだ。俺もその中に溶け込めているのか、俺の姿を見て不思議に思う人はいない。平凡な容姿ってのはこういうときには便利なもんだな。しかし俺は別にスパイになりたいわけじゃないのでこの特性(?)が今後どこまで役に立つ事やら。というか、これってあんまり嬉しくない。
「ようっ」
 朝倉の病室のドアをノックし、返事を待つ。そういや朝倉は今どうしているんだろうか。検査なんかは午前中が多いから午後は何時でも大丈夫と言われてた気がするんだが……まあ、居なかったら居なかったで良いんだ。本人が戻ってくるまでどこか適当なところで時間をつぶせばいい。
「……キョンくん?」
 返事が帰ってくるまでに、そろそろ引き返した方が良いんじゃないかと思えるほどの間が有った。声に困惑がにじみ出ている。当然か。緊急でも無いのに平日の午前中に高校生が見舞いに来るということ自体がまず有りえない。ハルヒみたいないざとなったら学校も授業も放り出して走りだしそうな奴ならいざ知らず、俺は授業とかはちゃんと出る方なんだぜ。今日は例外中の例外だ。
「ああ、俺だ。入っても良いか?」
「あ、うん……良いよ」
 許可を得て病室に入ると、そこにはパジャマ姿で困惑気味の朝倉の姿が有った。他に人影は無い。どうやら検査の時間には被らなかったようだ。
「見舞いに来たぜ。昨日は約束を破って悪かったな」
「ううん、それは良いんだけど……ねえ、今日は平日だよ? 開校記念日とかじゃないよね?」
 朝倉は俺と同じ学校の生徒だったことが有るので、当然学校関連の休日、行事などは大体把握している。
「ああ、平日だな」
「……もしかして、学校をサボっちゃったの?」
「そうだよ」
「良いの?」
「良いかどうか分からんが、今日は学校に行きたくなかったんだ」
「そっかあ……うん、サボるのは良くないけど、そういう日も有るよね」
 なんだ、思ったより聞きわけが良いじゃないか。
 お説教くらいされるかと思ったのに、朝倉はうんうんと頷くだけだった。心当たりでもあるんだろうか? 一体どんな? 朝倉みたいな優等生キャラが学校を休みたくなる理由なんて俺には想像もつかないし、そもそも俺の知っている朝倉のイメージが正しい朝倉の姿だとも限らない。制服姿の委員長の面影を宿す少女は、今日はどこか頼りない印象だ。そういや、病気で入院しているってことになっていたんだったな。病院まで来ているってのに時々その設定を忘れてしまいそうになるのは、それ以上に気がかりな部分が多いからだろう。
「今日は体調良くないのか?」
「え? 普通だよ。そんなに悪くは無いと思うし」
「俺、来ない方が良かったかな」
「ううん、そんなことない。あたしは……キョンくんが来てくれて嬉しいよ」
 まるで花が咲き誇る時のような微笑みを浮かべた朝倉は、そっと俺の手をとった。自然と、と言うにしては少々ぎこちないが、それは俺も一緒なのであえてツッコミを入れるようなところじゃないだろう。ハルヒに腕をつかまれたり緊急時に長門に引っ張られたりするのとは意味が違う。朝倉も各種属性持ちの一人だが、当人はその記憶を持っていない。一時的にでは有るが、今の朝倉は普通の女の子ってカテゴリに分類される存在だってことさ。
「キョンくん、今日は他にどこかに行く用事とか有るの?」
「いや、何もないな」
 何せここに来ることだって今朝思いついたんだ。世の中には空き時間が出来ると同時に次の予定を詰め込まれるような立場の人間も居るらしいが、俺はそんな一分一秒を争うような生き方はしていない。忙しいと思う時も有るが、それも所詮逃げようと思えば逃げれる程度のものでしかないんた。たとえば、今みたいに。
「そっか。じゃあ、お話ししよ。あたし、五組のこととか学校のこととか聞いてみたいな」
「大して面白もんじゃないと思うぞ?」
 というか、そんなに学校のことが気になるなら他の連中に連絡を取ればいいんじゃないのか。俺よりも仲の良い奴だって居ただろう。
「ううん……そうなんだけど、まだ、北高に戻れるって決まったわけじゃないから……」
 そんなもんかね? 転校も長期入院もしたことのない俺には良く分からない感覚だが、まあ、朝倉がそう思っているなら無理に会えとは言わないさ。
 しかし、俺の話なんかで良いのか? 俺の話なんて大して面白くないと思うんだが。
「そんなこと無いと思うなあ。あ、ほら、キョンくんの後ろの席に居た、涼宮さんだっけ。あの人ってちょっと変わったところ有るけど面白いところも有りそうだよね」
 朝倉がハルヒを『面白そう』と評価しているのはちょっと意外だ。
「ハルヒのことか……」
「キョンくん、涼宮さんの話をするのはいや?」
 昨日の今日だから、ハルヒのことを思い出したくないと言えば思い出したくない。しかしハルヒのこと以外で間が持ちそうな話題の持ち合わせがあまり無いってのも確かだ。あいつは何だかんだ言って話の種の宝庫だ。当事者的立場としては笑い事では済まないことの方が多い気がするのだが、聞くだけなら楽しい話となるかもしれない。
「話すのは良いが……あんまり期待するなよ」
 だが、話ってのは内容もそうだが誰がどう語るかってのも重要なんだ。正直俺は自分の話術に自信なんてない。朝倉とは数日前にも似たような会話をした気がするが……まあいい、話すだけならタダだ。
 俺は期待に目を輝かせる朝倉を失望しないため、とりあえず時系列に沿って話を進めてみることにした。


 ――俺が話したハルヒ及びSOS団についてのことだが、どうやらそれなりに楽しんでもらえたようだ。朝倉は興味津々と言った様子で俺の話に耳を傾けていたし、時折笑っていたりもしたからな。
 途中昼食の時間という小休止を挟んだが結局俺は面会時間ギリギリまで朝倉と一緒だった。今日は検査などは無いらしい。時々起る発作とたまにある検査。一体何の病気なのやら、という気がしたが、どうせ朝倉は元々人間じゃないんだ。体調について心配してやる必要は……無い、と思う。
「じゃあ、またね。きゃあっ」
「おおっと」
 だからその、今日は見送るわと言った朝倉が何もないところでこけそうになったときも、単に足を滑らせただけだと思った。人間誰だって足を滑らせることくらいある。何もないところで、ってのがミソだが、そんな場合だって無いとは言い切れないさ。そんな何気ない、見過ごしてしまえる程度の出来事。しかも相手は朝倉。何でも無い、と、そう、言い切れる程度の出来事……なんて、自覚する必要さえ無いまま流してしまいそうになっていたのは、俺が思ったよりも軽い身体を抱き上げ、その表情を見るまでだった。
「おい、顔が真っ青だぞ」
 面を上げた朝倉の顔は、こっちの血の気が引くくらい青かったのだ。
「え、あ……き、気のせいだよ。へ、平気だから」
 全然平気そうには見えないんだが。朝倉は一応笑顔に分類される表情を浮かべているがその顔に全然覇気がない。夕闇に照らされた中でも分かるってのは、大分悪い方なんじゃないか。朝倉の……インターフェースの体調が悪いところってのはあまり想像がつかないが、俺は以前長門が雪山で調子を崩したところを見たことが有る。今はあの時とは全然状況が違うわけだが、何だか嫌な予感がする。何かの兆候めいたものならこの二週間ずっと感じているようなものだし、よくよく考えてみれば長門がいなくて朝倉が居るというこの状況自体がおかしいと言えばおかしいわけだが、もっとまずい何か……一体何だ。何が起ころうとしているんだ?
「本当か?」
「うん、休めば大丈夫だと思うから」
「そうか……無理するなよ」
「うん、大丈夫よ」
 病院に入院している状態でどうやったら無理が出来るのかという気もするが、どうも心配だな。……ん、心配? 何で俺が朝倉の心配をしているんだ。そもそもこいつは宇宙人じゃないか。本人はその自覚は無いみたいだし、調子が悪いということに間違いは無いようだが……ああ、そうだ。俺は別に朝倉の心配をしているわけじゃないんだ。もっと大枠の、マクロなことを気にかけているだけなんだ。朝倉は所詮その中の一部。うん、そうだよな。そういうことだよな。
「キョンくん、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
 何故だろう。朝倉のそばに居ると――いや、そばに居ること自体は良いんだが、朝倉のことを真面目に考え過ぎると、何だか思考があまりよろしくない方向に向いているような気になってしまう。染み付いたはずの恐怖と、ギャップのありすぎる現在の朝倉の姿。適当なところで落とし所を見つけて振舞っているつもりなんだが、時々、その狭間に滑り落ちそうになっているんじゃないかって思いそうになる。
「あんまり気にしないでね。あたしは大丈夫だから」
 大丈夫、ね。大丈夫だと良いんだが。正直なところ今の朝倉の存在には何の保証も無いんだ。古泉からの情報が確かならどうやら背景事情は以前と同じようなものらしいが、それは何の安心材料にもならない。こいつの背後に居る奴が考えていることはよく分からん。
「ああ」
 俺は朝倉を安心させてやるべきなんだろうか? 自分で選んだ結果としてここに居るとはいえ、俺は何か出来るような存在じゃない。例えば朝倉がここから消えてしまうとしても、俺には何も――って、俺は何を考えているんだ。そんな、不吉な。いや、それを『不吉』と考えること自体、間違っているような気もするんだが。
「ねえ、キョンくん……ひとつ、わがまま言っていい?」
「……なんだよ」
 どきりと、心臓が跳ね上がる。わがまま、わがままって……あなたの命を頂戴、とかいうベッタベタな展開が浮かんでくるなんて、どうかしている。ここに居る朝倉がそんなことを言うはず無いだろう。こいつは、何も知らないんだ。
「あの……、次も、早く来てほしいな」
「はっ?」
「え、あの、だから、お見舞いに……ダメかな?」
「なんだ、そんなことか。……良いよ、明日も来てやるよ」
 どうせ明日も暇だからな。もしかしたらハルヒから電話がかかってくるかもしれないが、無視だ、無視。俺はあいつ等に会いたくないんだ。
「え、明日?」
「都合が悪いのか?」
「ううん、大丈夫。……明日もキョンくんに会えるなんて嬉しいな」
 お前が学校に転校してくれば、毎日だって、と、俺にその台詞は言えなかった。朝倉は本当に退院できるんだろうか。本当に北高に転校して来られるんだろうか。俺に未来のことは分からないし、俺に現実を変えるような力は無い。せめて長門がいれば事情くらい分かったんだろうが今はそれも無理だ。長門の不在ももう二週間になろうとしている。あいつは何時帰ってくるんだろうか。
「じゃあ、また明日だね」
「ああ、また明日」
 不穏な空気は言わば朝倉と再会した瞬間から流れていたようなものだ。今更になってぶり返してきたんじゃない。蓋をして忘れようとしていたことに再び目を向けることになっただけだ。例えばその蓋をしたときと今とで何か違うものが有るのかも知れないが、それはきっと微細な変化でしかない。現実は、二週間前の日曜と今とで大して変わっていない。
 朝倉が居て、長門が居ない。
 ――そして、この現実がどう変わろうとも、俺には何も出来ないんだ。


 明くる日思ったよりものんびりと覚醒した俺は、二日ぶりに携帯の電源を入れてみた。どうやら昨日のサボりは親にはばれずに済んだらしく昨日帰った時に何か言われるようなことも無かった。ばれたところで何とかなるだろう思っていたが何事も無いならそっちの方が良いに決まっている。
 電源を切っている間に着信を受けた形跡は無い。ハルヒから着信の一つくらいあるかと思ったんだがそれも無しか。ま、無いならないんで良いんだ。別に期待していたわけじゃない。期待? 俺がハルヒに? それはちょっと有りえない。あいつに振り回されるのをある程度許容してはいるしそれを楽しいと思うこともあるが、それは期待というのとは質を異にするものだ。
「じゃあ、出かけてくるからな」
 遊んでという妹を振り切って玄関の扉を開く。学校に行くときと同じように自転車に乗って電車を乗り継いで病院に向かえば良い。何のことは無い、ただ昨日と同じ道のりを行くだけだ。
 ――そんな特筆すべきこともないような時間は、至極あっさりと崩されることになったわけだが。
 俺の周りに順調な道のりを出鼻から挫くような奴なんてたった一人しかいない。出鼻、以外だったら幾つか心当たりが有るんだが、まあそれはそれとして。
「キョン、あんた起きるのが遅すぎるわよ!」
 歩く人災、天変地異、世界の中心、世界一核兵器のスイッチを握らせちゃいけない女子高校生――涼宮ハルヒが、我が家の玄関の先に立っていた。おいおい、なんでここにハルヒが居るんだよ!
 仁王立ちのハルヒは不敵としか言いようがない笑みを浮かべている。おまけに、その背後には当然のように朝比奈さんと古泉がついて来ている。おろおろした朝比奈さんと苦笑気味の古泉というセットはもう見慣れたものだが、見慣れ過ぎているせいで逆に何を考えているかさっぱり分からなかった。
「……何でお前が居るんだよ」
「あんたを迎えに来たのよ」
 ビシッと、ハルヒが俺に向かって人差し指を突きつけた。
「迎え、って、」
 俺はハルヒに迎えられるような心当たりは無いぞ。迎えの使者が涼宮ハルヒじゃあ、それこそ行き先は想像もつかない。過去よりも閉鎖空間よりもヤバい場所であることだけは間違いなさそうだが。
「ひとつ聞くけど、あんた、昨日学校サボってどこ行ってたの?」
 そのままどこかへ引っ張っていかれるかと思ったのに、次にハルヒの口から出て来たのは疑問形の言葉だった。形式だけじゃない、ちゃんとした質問になっている。だがしかし、その事実は何の救いにもならない。台風が来ている時に風力が同じまま風向きだけ変わったって何の意味も無いだろう。
「……何のことだよ」
「サボってたんでしょ? 証拠はあがっているんだからね。なんならあんたの親御さんに確かめさせてもらうけど」
「……それはやめてくれ」
 くそ、親の前じゃ誤魔化せないじゃないか。後々のことを考えたらここでハルヒに弱みを握られるよりも親にばらされる方がマシだった気もするのだが、さすがにその場でそこまで頭が回らなかった。というか、サボったことを同級生にばらされる状況ってのは中々に痛いものが有る。
「じゃあ、白状しなさい。あんた昨日どこへ行っていたのよ」
「どこ、って……病院だよ」
 相手はハルヒだ、下手な嘘は通じない。いや、通じることも有るんだが、今はその時じゃないだろう。第一今俺の身の上に起こっていることはハルヒに絶対言えない常識外のことじゃないんだ。全部を説明するとややこしくなりそうだが、ある程度なら語しても大丈夫だろう。……多分。
「病院? 昨日もお見舞いだったの?」
「ああ。……ところで移動させてくれないか、あんまり家の前でしたい話じゃない」
「……そうね。分かったわ」
 自転車を諦め徒歩を選んだ俺の後ろをハルヒと朝比奈さん、古泉の三人がついて来る。
「あんた今日も病院に行くの?」
「そうだよ」
「随分熱心ね? それとも相手の容体が悪いわけ?」
 容体云々は俺にもよく分かないが、傍から見れば熱心に見えるかもしれない。何せ昨日の今日だ。俺ってそんなに暇だったか?
「容体は悪くないが、俺以外に見舞いに行くような奴が居ないんだよ」
「何それ? 家族とかは?」
「忙しいらしい」
「忙しくても家族だったらお見舞いにくらい来るもんじゃないの? あんた以外の友人とかは?」
「事情が有って来られないらしい。……って、お前等このまま着いて来るつもりかよ」
「とーっぜん、そのつもりよ!」
 どんっと、道の真ん中で仁王立ちになったハルヒが宣言する。おいおい、そりゃいくらなんでも身勝手すぎるだろう。朝倉はハルヒのことは覚えているが大して仲が良かったわけじゃないし、今の朝倉に古泉や朝比奈さんに関する知識や記憶は無いだろう。そんな連中がいきなり押しかけたら驚かれちまう。
「あのなあ……」
「何よ? 会いに来るような人が居ないような人なんでしょ。だったら大勢で行って励ましてあげても良いじゃない。で、あんたがそんなに熱心にお見舞いに行っている相手は誰なのよ? いい加減白状しなさい!」
 突き付けられた真っ直ぐな指先とその向こうにある整った顔立ちは、まるで犯人を捕まえた刑事のようだった。
 こいつは刑事ドラマや探偵物の主役になりたい願望でもあるのか? ハルヒが刑事になれば検挙率は100%になるんじゃないかって気もするが、その代わりに始末書がドカンと増えそうだ。
「分かったよ……」
 ここでハルヒを引きさがらせることは不可能だろう。
 俺は観念して朝倉涼子の名前を口にした。
 その時のハルヒの表情については――あまり語りたくない。


「朝倉涼子? 朝倉がこっちに戻ってきているって言うの?」
「ああ」
「信じられないわ……」
「信じられなくても事実なんだよ」
「……じゃあ、それは信じてあげるわ。いくらあんたでもここですぐバレる嘘を吐くってことはなさそうだもんね」
 それは一体どういう評価なんだよ……真面目に論じる気はないが、地味に体力を削られることを言われた気がした。
「でもなんであんたが朝倉の見舞いに行ってるのよ? そんなに仲良かったの?」
「他の奴の見舞いに行った時に偶然会ったんだよ。北高に戻れるかどうかまだ分からないから北高で仲の良かった連中にはまだ連絡を取ってないらしい」
「ふうん……で、朝倉が寂しそうだったから、あんたがお見舞いにってこと?」
「そんなところだ」
 幾つか伏せさせてもらっていることは有るが概ね嘘はついていない、と思う。朝倉が元クラスメイトに連絡を取ろうとしない理由なんて本人に聞いたままだ。ハルヒは解決済みのはずの事件の真相を探す探偵のような顔をしているし似たような質問を何度か繰り返していたりもするが、当人に会えば納得することだろう。ハルヒは支離滅裂な性格と判断力を併せ持っているがそれでも目で見たものくらいは信じてくれることだろう。さすがに朝倉を指さして「こいつは幽霊よ!」なんて言いだすほどアホじゃない。
 昨日と同じルートを辿って朝倉の居る病室まで辿り着いた俺は、さて一体どう言ってからは色うかと思ったが、
「入るわよ」
 俺が答えを出すよりも先にハルヒが入りやがった。待て、と言葉をかける暇すらない。こら、古泉、そこで苦笑する前にハルヒを止めろ!
「……」
 ぽかんと口をあけた朝倉がハルヒの方を見ている。そりゃそうだろう、了承も得ずに変人のレッテル付きの元クラスメイトがやって来たんだ。見舞い時のサプライズにしてはちょっとインパクトが強すぎだ。
「ようっ……」
 俺はそんなハルヒの後ろから登場するしかないわけが、非常に居心地が悪いというか、居た堪れないというか。何でこんなことになっているんだ? 昨日サボった俺が悪いのか?
「キョンくん……今日は、他の人も一緒なんだね」
「ああ、着いて来るって言われたんでな」
 ハルヒに対してもそうだが朝倉に嘘を吐いても仕方がない。というか、こっちは偽りを絡めるような余地すらないな。ハルヒ達が俺に無理やりひっついてきた。明らかにそれ以上でもそれ以下でも無い。
「えっと、涼宮さんと……」
「古泉一樹です」
「あ、朝比奈みくるです」
 古泉はソツなく名乗ったが朝比奈さんは若干緊張しているらしい。そりゃそうか、半強制的にこんな場所まで連れられて来たんだから、緊張するなって方が無理な話だ。いや、それとも朝比奈さんは朝倉の正体を知っているのか? ……喜緑さんの正体に気付かなかったような人だから、それは無いような気もするんだが。まあいい、藪を突っつくような真似はやめよう。例え朝比奈さんが朝倉の正体に気づいていたとしてもここは大人しくしてくれるだろうし、知らないなら知らないで誰も困らない。
「あ、うん、二人とも名前は聞いたことあるよ。ええっと、キョンくんや涼宮さんとよく一緒に居るんだよね」
 昨日の会話の中で朝比奈さんと古泉の名前も出してしまっている。気がかりなことが有ったので長門の名前は伏せさせてもらったが……まあ、それは良いんだ。長門の件について考えるのは後で良い、後で。今はまず目先のことをなんとかしないと。
「あたし達はSOS団よ!」
 ハルヒは声高に宣言すると、どっかりと椅子に腰をおろした。朝倉が竦み上がっている。竦み上がる朝倉というのも珍しいもののような気がするが珍しいものを見れたからって嬉しいというわけじゃない。寧ろ俺の気苦労が増えていく。なあハルヒ、一応見舞いに来たんだから、ここはそれらしく振舞ってくれないか。
「えっと……、あ、うん、そうだったね」
「……」
 ハルヒが無言で朝倉の顔を覗き込んでいる。
「それはやめろ」
 さすがに肩を叩いて静止させてもらった。何しに来たつもりか知らないが、病人を怖がらせるようなことはやめろ。
「……あんた、またこっちに戻ってきたのね」
 ハルヒは一度だけ俺を見上げた後また朝倉に向き直った。先ほどまでの剣呑な状態は大分なりを潜めているがあまり歓迎できる状態じゃないのは確かだ。何でそんなに機嫌が悪いんだ? いや、機嫌が悪いとしたらそれは俺のせいってことになるのかも知れないが、だとしたらぶつけるのは俺だけにしてくれ。朝倉は無関係だ。
「うん……今はまだ入院中だし、編入試験とかも有るから、北高に戻れるかどうかは分からないんだけど
「……そう」
 何だかハルヒが怖い、と思うのは俺だけではないらしい。当のハルヒと後ろで笑っているだけの古泉はともかく、俺はさっきからずっとピリピリとしたものを感じ取っているし、それは朝倉や朝比奈さんも同じらしい。なあハルヒ、何でそんなに……と、話しかけられるのもためらわれる雰囲気だ。
「涼宮さんは、北高、楽しいんだよね?」
「楽しいけど、なんであんたがそんなこと知っているの」
「えっと、それは、キョンくんに聞いたから……」
「ふうん、キョンがね……どうせキョンのことだからろくな事を言わなかったんでしょ」
 今日はハルヒの俺に対する評価が良く分かる日だな。元々そう良いもんじゃないと思っていたが、どうやらハルヒの中での俺のランクは俺が思っているよりもずっと下だったらしい。
「そんなことないよ。キョンくんはとっても楽しそうに話してくれたし」
「でも、キョンの話じゃ絶対全部語りきれてないわ。……って、あんた、SOS団に興味あるの?」
「あ……うん」
「じゃああたしが話してあげるわ! 良いこと、SOS団の活動の神髄なんてめったに聞けないんだからね、耳かっぽじってよーく聞きなさいよ!!」
 ……調子づいたハルヒを止められる者など居るわけもない。キラキラと目を輝かせているところを見る限り、どうやら風向きが変わってくれたようだが、この変わり方で本当に良かったのかね。


 ――多少の不安は有ったものの、今までの出来事を武勇伝のように語るハルヒが機嫌を悪くするなんてことはなく、それを聞く朝倉も(多少困惑気味では有ったが)それなりに楽しんでいるようだった。
 よかった、これで一安心だ。……ハルヒの不満が爆発したらまた面倒なことになりかねない。不安の種は少ない方が良い。
 話が盛り上がり、そろそろ俺が居なくても大丈夫だろうと思えるようになったところで俺はトイレだと言って一旦席を外した。無論それが本来の目的じゃない。直前に目配せを飛ばした男はちゃんと俺の意志を汲み取り、自分も行きます、と言って俺についてきた。古泉相手に連れションやアイコンタクトというのもいかがなものかという気はするが、今はそんなことを論じている場合ですらないんだ。
「ご苦労様です」
「……お前、ハルヒを止められなかったのかよ」
「無理を言わないでください。僕に彼女が止められるわけないじゃないですか。それに、今回は止めるほどのことではないでしょう」
 そりゃあ結果としてはそうだったが、相手は朝倉涼子で、会いに来たのは涼宮ハルヒだ。面倒なことが起きたっておかしくなかったんだぜ。一応昨日何でクラスメイトに連絡を取らないんだと聞いてみたりもしたが、正直俺は朝倉を自分以外の相手にあまり引き合わせたくないのだ。世話になっている手前も有るし状況確認の意味も含めて一度くらい古泉と会わせても良いかとは思っていたが、俺がそんな風に思っていた相手は古泉だけで、ハルヒなんて最初からその数にも入っていなかった。
 今のところ何も起きてないようだが……このまま何も無いと良いんだが。
「相変わらず進展無しか」
「ええ、何もありませんね。……長門さんの件についても不明なままです」
 どうして朝倉がここに居て、長門がここに居ないのか。一番知りたいことの理由は未だに分からないままだ。答えに繋がる為の材料さえない。せめてもうちょっとヒントが欲しい。なあ、長門――って、呼びかけてみても、長門の声が聞こえるわけないか。たとえば長門がどこかで俺のことを呼んでいたとしても、俺の方にそれを察知する能力が無い。
「涼宮さんと朝倉涼子が出会ったことで事態が変わる可能性は有りますが……」
「予測不可能じゃ意味が無いんじゃないか」
「まあ、そうかも知れませんね」
 そんな風に薄っぺらい笑みを浮かべるのはやめてくれないか。俺はちっとも安心できない。朝倉のことも長門のことも……もっと、確かなものが欲しいんだ。
 トイレの中でただ時間が過ぎていく。何か怒りの言葉をぶつけられれば鬱憤の発散になったのかも知れないが、幸か不幸か俺の判断力はそこまで鈍っていなかった。
 ――古泉は何も悪くない。
 単純にして明快な結論が俺の言葉と行動を堰き止める。
 こいつはこれでも俺の愚痴に付き合ってくれたり情報収集に協力してくれたりしているんだ。これ以上何を求めるって言うんだよ。
 タタっと、小さな足音が耳に届いたのはその時だった。
 男子トイレのドアが開き、本来この扉を開けるべきではない人の姿が目に入る。なんだなんだ。どうして朝比奈さんがここにやって来るんだ? そんな、顔を真っ青にして――
「キョンくん、古泉くん……、大変です、朝倉さんの容態が!」
 ――その全てを聞き終わるよりも前に、俺は走り出していた。


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